美を求める心
小林秀雄全作品21
新潮社
平成16年6月1日 印刷
平成16年6月10日 発行
有志勉強会でのテーマとして「小林秀雄」が予定されており、「美を求める心」が課題図書になった。「美を求める心」が収録された全集本くらいしか、今では手に取ることができないので、全集21を図書館でかりてみた。
「美を求める心」は、昭和32年(1957年)2月に発表されたもの。それが、全集の中におさめられている。11ページくらいのエッセイだ。
結論から言ってしまえば、小林秀雄のいう「美を求める心」は、美術や音楽をわかるためになにかを勉強してわかるようなものではなく、沢山の芸術にふれることで自然と身につくものであり、かつ、それはそれなりの努力がいるのだ、ということ。
本エッセーをかいたきっかけは、昭和30年代、戦後10年頃、時代背景として展覧会や音楽会が盛んにひらかれるようになり、若い人から「絵や音楽は難しくてよくわからないのだけれど、どういう勉強をしたらいいか?」と聞かれることがふえたことだった。
そして、美術や音楽に関する本を読むのも結構だが、それよりも、何も考えずに、沢山見たり聞いたりするのが第一だ、と答えるようにしている、と。
ピカソの絵をみて訳が分からないのは、実はわからないのではなく、見慣れていないのだ、と。なるほど、そうかもしれない。
たしかに、キュビズム、抽象画は、見慣れていないとただの落書きにしか見えない。見慣れてくれば、違いやそれぞれの個性、良さ、悪さ、もわかるようになるのかもしれない。
土井善晴さんが、『一汁一菜でよいといたるまで』のなかで器の良しあしがわかるようになるにも、良いものをたくさん見ることだ、とおっしゃっていた。同じことだろう。
絵描きは、それぞれ、自分が心を奪われたものを描く。それは、普通に、私たちが美しい自然や花をみて「何とも言えずに美しい」と思うものと同じなのだ。そして、それを絵という形で表現しているのが絵描き。あるいは、言葉で表現すれば、俳人。
「田子の浦ゆ打出でてみれば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける」 山部赤人
誰もが知っているこの詩を、読んで感動するとすれば、それは文字通りの意味というより、富士をみたときの赤人の感動が、私たちの心をうつからではないのか?と、小林は問いかける。それは、赤人が綿密に選択して、組合わせて、はっきりした歌の姿を、詩の形を作り上げているからすばらしいのだ、と。
素晴らしいと感じる芸術というのは、その作り手が努力して選び抜いた材料で出来ている。たくさん見ているとそれがわかるようになる、ということのようだ。
美しい者には、作り手の努力がある。
だから、美しい。
もしかすると、そういう事なのかもしれない。
子どものつくったちょっと不細工な粘土細工でも、すばらしいと思うものは、そこにかけた情熱がにじみ出ているものだからかもしれない。
美を求める心は、勉強するものではなく、たくさん触れることでその美しさに慣れること、そういうことかな。
本書の中には、他にもたくさん短いエッセイがおさめられている。全部は読むつもりはなかったのだけれど、ついつい、読んでしまった。
とはいっても、やはり、小林秀雄がなにをいいたいのかよくわからない文章も多い。それは、彼の文章が悪いのではなく、私にその周辺知識がかけているから。ドストエフスキーもシェイクスピアも、しっかり読み込んだことがない。だから、その登場人物のことを引用されても、どういう人物だかわからない。それでも、本書をサラッとでも全部に目を通せたのは、各ページの下段に注釈が付いているので、わからないものがすぐに調べられるから。
野暮な注釈といえばそうかもしれないけれど、かなり基本的な情報まで載せてくれている。ありがたい。
例えば、先の山部赤人についても、
”奈良時代の歌人。生没年不詳。7世紀後半から8世紀前半頃の人。「田子の浦ゆ」の歌は「万葉集第三」にある。”
と、記載がある。優しい。
沢山の固有名詞がでてくるのだが、それもすべて注釈があるので、なんとなく話についていける。小林秀雄の文章は、よく友人関係の人の名前もでてくるのだけれど、そういった人々も、まぁ、知名人なわけで、注釈が都度ついている。あるいは、文章のなかでその個人についてのあれこれが言及されていて、新たな発見があったりもする。
私にとっては、菊池寛が「文藝春秋」の創刊者だったというのは、新情報だった。へぇ、、、そうだったんだ。知らなかった。
思想として、へぇそうだったんだ、というものもあった。
小林は、批評家と言われているわけだけれど、批評するのに大事な事は、濫読することだ、と。ごもっともな。「美を求める心」と同じで、沢山のものに触れないと、批評なんてできないというのは、その通りだろう。
学べば学ぶほど、自分の無知を知る。
無知の知。高校の時に習ったソクラテスの言葉は、たんに私たち高校生はまだまだ無知なんだ、、、くらいに解釈したけれど、年をとればとるほどわかる、無知の知。
どの面下げて、講師なんかできるんだ、、、と自分にいいたくなる。
小林秀雄はどうやって出来た人間だったのだろうか?と興味がわく。フランス語を学んだ人。あらゆる本を読みまくった人。骨董に嵌った人。かつ、酒好きの大酒飲み。
お酒やゴルフの話の時は、ただのつまらんおじさんのていだ。
「国語という大河」というエッセイでは、娘が学校の国語の授業でだされた問題をもってきて、「全然わからないんだけど」と聞かれたので、読んでみたら、やっぱり、全然わからなかったという話。おちが笑える。
「読んでみると、なるほど悪文である。こんなもの、意味がどうもこうもあるもんか、わかりませんと書いておけばいいのだ」と、答えたら、娘が笑い出した。
「だって、この問題は、お父さんの本からとったんだって、先生がおっしゃった。」と。
教育問題は難しい、、、と。
次回の勉強テーマは、「なぜ、今、小林秀雄なのか」というタイトルだけれど、どんな懇談会になるのか、楽しみだ。
20代のころ、「考えるヒント」を読もうとして、挫折し、それから小林秀雄はよくわからない難しいことばかりを書く、気難しいおじさん、と思ってた。それから、骨董に嵌っている小林、酒飲みの小林、『本居宣長』を書いた小林をしり、ちょっとおもしろいおじさんかもしれない、と思うようになり、今回の全集21をよんで、やっぱり、そんなに難しい人ではないのかもしれない、と思うようになった。
濫読。たくさんのものに触れる。一時骨董にはまった小林だけれど、贋作もたくさんつかまされ、ぱたりと骨董集めをやめた時期もある。
まぁ、普通に一人の人だったんだな、、とも思う。でも、これだけ膨大な文章をのこしているのだから、やっぱり、普通じゃない。かつ、今も読み継がれるんだから、普通じゃない。かといって、新たな思想を作り出した哲学者でもないし。
やっぱり、こういう人を批評家というのだろう。
いつか、のんびり全集を読む時間があったら、、、読むかな。
老後に読むべき本が増えていく・・・・。