『《歴史ごはん》 食事から日本の歴史を調べる 第3巻  安土・桃山~江戸時代・現代の食事』

《歴史ごはん》 食事から日本の歴史を調べる
第3巻  安土・桃山~江戸時代・現代の食事
永山久夫、山本博文  監修
くもん出版 
2019年2月21日 初版第1刷発行

 

3巻シリーズの最後。2巻のつづき。

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目次
第1章 安土・桃山時代の食から見る歴史
第2章 江戸時代の食から見る歴史
第3章 明治維新から現代、これからの日本のごはん

 

安土桃山時代は、各地の大名が競う戦国時代と呼ばれる時代を経て、 織田信長豊臣秀吉が全国統一を進めていく。 その一方で、経済力を持った大名や商人が華やかな文化を楽しみ、 ヨーロッパが日本に新しい食文化をもたらした。

 

室町時代に花開いたお茶の文化は、千利休によって完成される。「茶の湯」でだされる懐石料理がが象徴。
懐石料理は、食べるものが順番にだされるようになる。

1 ご飯、汁物、向付
 向付には、白身の刺身やなますなど
2 煮物(椀盛、平(ひら)ともいう)
 野菜と魚、あるいは肉を煮たもの
3 焼き物
 ここまでに、1汁3菜の食事が終了。
 現代では、焼き物のあとお吸い物と八寸などのおかずがでることもある。
4 菓子
 菓子が出された後、一旦茶室をでる。休憩している間に茶室が整えられて、あらためて茶室に入って抹茶を愉しむ。

 

懐石料理は、本膳料理と違って品数はすくなく、見た目も質素。気持ちを込めてつくった料理を美味しく食べてもらうことを大切にする。

茶の湯で利休がつくったお作法の考え方が、その後の様々な日本文化に影響を及ぼす。「おもてなし」の心は、茶の心から始まった。

また、日本では偶数より奇数の方が縁起がいいと考えるため、正式な料理であるほど、お皿の数や盛り付ける料理の数は、奇数になる。

ちなみに、西洋では左右対称が好まれるので、料理も偶数の盛り付けがおおくなる。

 

このころ、貿易やキリスト教を広めるために、ポルトガルやスペインから商人や宣教師がやってくる。南蛮貿易による生活の変化が起こる。

ポルトガル語スペイン語がもとになっている料理は、てんぷら、コンペイトウ、ひろうす(がんもどき)、カステラなど。
ちなみに、カステラやこんぺいとうは、和菓子に認定されている。

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「ぼうろ」のレシピが紹介されている。私が大好きなぼうろ。赤ちゃんのお菓子かもしれないけれど、私は結構好きなのだ。ぼうろ、ぼうろ、ぼうろ・・・。牛乳とぼうろがあれば、一日生きていける。

ぼうろに必要な材料は、小麦粉・さとう・卵。でも、ここで紹介されているぼうろは、佐賀の名産「丸ぼうろ」みたいなぼうろだった。サクサクしてなくて、ちょっとしっとりしていて、、、微妙な触感のやつ・・・。こういっちゃなんだが、ホットケーキのできそこないみたいな・・・・。
サクサク卵ボーロじゃないので、つくってはみない。

 

この時代は、戦いがたくさんあったので、武士たちはたくさん食べて、戦にそなえるようになる。豊臣秀吉が没落した理由の一つといわれる朝鮮出兵は、政治的には失敗かもしれないけれど、此の時に各地の大名が陶工をつれてかえったことから、有田焼、唐津焼萩焼薩摩焼、といったすぐれた陶磁器が生まれる。よかったこともあったのだ。

 

そして、徳川家康江戸幕府を開く。大きな戦もなく、265年間続いた江戸幕府。海外との交流を厳しく制限したことで新しい文化があまり入ってこず、これまでの文化が整理され、 伝統的な日本の食文化が完成される。 その一方で 庶民の普段の食べ物が格段に充実していく。

やはり、日本の文化、文明に鎖国がもたらした影響は計り知れない。それがあっての、『逝きし世の面影』なのだ。

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江戸時代になると1日3食 が定着。 江戸の町民には白いご飯一般的となる。白米は玄米よりビタミンが少なく、おかずもすくなかったので栄養が偏り、「江戸わずらい」とからと呼ばれる「脚気」がはやってしまう。

 

一方で、一般の人の間にも「料理をする」ことを愉しむ文化ができて、「料理本」がブームになった。今でいう、グルメ本のようなものもでき、お店に順位をつけた「料理番付表」が流行った。まさに、食べログスコアみたいな感じか。江戸時代も日本人は食いしん坊だったのだ。そして、借金をしてでも初物を食べることにこだわるものもいた。

江戸の町は、参勤交代の制度のために一人暮らしの男性が多く、加えて1657年の明暦の大火によって、町の再建のために全国からあつまった労働者のために、食事を提供する「煮売茶屋」今でいう料理屋さんがたくさんできた。

人気の屋台は、「すし」と「てんぷら」。大坂や京都に負けじと、江戸では「江戸前」「江戸っ子」としての料理が発展する。

 

農業の発展、工業の発展によって人々の生活は豊かになった。それでも江戸の町はムダをはぶく徹底したリサイクル社会だったので、ゴミの少ない綺麗な町を維持していたのだという。日用品には修理屋さんがいて、衣服は何度でも縫い直してとことんつかった。ボロボロになったらおむつや雑巾として使用。ほんと、お手本にしたいくらいの循環型社会。

 

味噌に比べて、醤油は作り方が難しく、江戸時代初期には近畿からはこばれてくる「くだり醤油」をつかっていた。1800年代になると江戸で使われる醤油も関東産になっていく。味噌は自宅で作るけれど、醤油はかってくるという文化は、今もちょっとちかいものがある。手前味噌はあるけど、手前醤油、とはいわないものね。

 

江戸時代が終わると、鎖国も終わり、一気に西洋の文明がはいってくる。日本は西洋のものを積極的に取り入れて、日本化してきた。

トンカツ、オムライス、コロッケ、カレーは西洋からつたわってきた料理だけれど、いまではすっかり日本の家庭料理。日本流にアレンジした「洋食」となるのだ。

1923年におこった関東大震災は、かまどや七輪からでた火災により被害が広がったため、以降、いっきに都市ガスや水道が広まる。しかし、戦争に突入するとさらに食糧不足。戦後も、食糧不足は続き、アメリカ等から受けた小麦の供給により学校給食はパンに変化する。

そして、
1957年、スーパーマーケットのダイエー1号店がオープン。
1958年、クノールのお湯で溶かすだけのスープ発売
1968年、大塚食品レトルトカレー
と、物流・技術革新も伴いながら、日本の食卓は変化していく。

 

2013年、「和食」はユネスコ無形文化遺産に指定される。健康的でバランスのよい日本食は、世界中から注目。日本語のまま通じる日本料理はどんどん増える。
すきやき
やきとり
しゃぶしゃぶ
ラーメン
弁当
だし
わさび
みりん
みそ
えだまめ
とうふ
だいこん
トンカツ
たこ焼き

地味ながら、訳さずに通じる日本料理のなまえが世界にひろがってくれるのはよいことだ。
和食は、「WASHOKU」で通じる。 

 

懐石料理のルールとか、和食の原点とか、結構ちゃんとは知らなかった情報もあって、結構たのしめる3巻だった。歴史の基礎が頭にはいっていると、よりスーッと情報が入ってくる。あるいは、再復習になることもたくさんあった。

それにしても、やはり飢饉や地震、火事といった災害は、文化の変化点になるのだなぁ、と思う。

 

歴史と食。日本人と酒。面白いテーマは、まだまだありそうだ。。。

栄養バランスが良く、健康的といわれる和食。「お酒」もほどほどに、ね。