『ラナーク 四巻からなる伝記』 by アラスター・グレイ (その1)

ラナーク
四巻からなる伝記
アラスター・グレイ
森慎一郎 訳
国会刊行会
2007年11月15日 初版第一刷発行
LANARK by ALASDAIR GRAY  (1981)

 

スコットランド人の知人が、年末年始に実家に帰ったときに昔買ったまま積読になっていたのを見つけて、日本に持ち帰ってきたといって、英語版を読んでいた。なかなかの分厚さのペーパーブックだった。彼は、時々、日本語の本も読んでいる。読書家の彼が面白いというのだから、面白いのだろう、、とおもって、興味を持った。図書館で借りて読んでみた。

 

アラスター・グレイは、1934年 スコットランドグラスゴー 生まれ。 美術学校卒業後、美術を教える傍ら、ラジオ・TVの脚本などの執筆活動を続け、1981年 質量ともに 型破りな 第一 長編 『ラナーク』を刊行。 一躍注目を浴び、 スコットランド文学活況の先鋒に立つ。 以後、スコットランド のみならず、 若手イギリス作家に最も影響を与えた作家として活躍している。 1992年 『哀れなるものたち』で、ウィットブレッド ショーガーディアン賞受賞。ウィキ情報だと、2019年に亡くなっているようだ。

 

スコットランドでは、かなり有名で、20世紀の読むべき作家の1人とのこと。

 

本書は、多分、ここ最近私が読んだ本の中で一番分厚い、気がする。質量ともに型破りというのは文字通りだと思う。もちろん、読書台からもはみ出さんばかりの分厚さ。アンデルセンの『即興詩人』とか、ガルシア=マルケスの『百年の孤独とか、よりも分厚いかも。5cmくらい。しかも、上下二段の縦書き。井上ひさしの『吉里吉里人』みたい。

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装丁は、もちろん、グレイ自身の作品、「カウカデンズの風景1950」(1963)。彼自身が、アーティスト。

 

表紙をめくると、セルフポートレイト(1967)のイラストもある。白黒のペン画みたいな感じで、オーブリー・ビアズリーを彷彿させる。う~~ん、装丁とこのイラストの感じだけで、私は引き込まれる。

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そして、
スコットランド文学の奇才アラスター グレイの第1長編にして最高傑作『ラナーク 四巻からなる伝記』は第三巻から始まる。 記憶を持たない青年ラナーク は 退廃の色濃い都市アンサンクを彷徨し、謎にみちた奇怪な施設に収容され、 やがて混沌と陰謀の渦巻いた大騒動に巻き込まれる・・・・。
悪夢的幻想世界での冒険を 強靭な想像力で描く、第三巻、第四巻。 そして 画家志望の少年 ダンカン・ソーの 友情と初恋、 苦悩と幻滅をリアリズムの手法で瑞々しく描く 第一巻、第二巻。
 2つの異なる世界は 仕掛けに富んだ 語りで絶妙に絡み合い、物語は鮮烈な黙示録的ビジョンを迎える。 SF・ミステリ・ファンタジー・半自伝・ ビルドゥングスロマン・メロドラマ・文芸批評・メタフィクション等々あらゆるジャンル・小説形式をミックスした現代の叙事詩、ついに登場”
と。

 

目次
第三巻
プロローグ
第一巻
一旦休憩
第二巻
第四巻
エピローグ
おまけ 『ラナク』の生い立ち
訳者あとがき

 

感想。
めっちゃ面白い!!!!長い!!!でも 、これは、好きだ。こんな面白い本があったなんて!という衝撃。

圧巻!!!


ひたすら長い。しかも、目次にあるように、第三巻から始まる。グレイは、本書を完成させるのに25年の月日をかけている。。。それぞれの巻で、話は一つのまとまりをもっているので、4つの別々の巻を読んでいるようでもある。でも、つながっているのだ。時間が行き来するけれど、中に挟まれた第一巻と第二巻が、グレイの幼少期から青年期の自伝的なところもあり、第三巻と第四巻は、ディストピア的な世界観で描かれている。

1人の青年の成長、活躍、破滅、回復、絶望、希望、、、の物語。

 

これだけ長いのに、あまり長さを感じさせない。文書の上手さなのだろうか。また、文芸批評やアート批評のような言葉が登場人物の会話や独白の中にさりげなく盛り込まれている。作品の名前そのものが登場しなくても、有名な旋律、フレーズ、登場人物がさりげなく出てくるような、、、著者のグレイ自身が、どれほど多くの物を見て、読んできたのか、、途方に暮れそうな知識と感性が盛り込まれている感じ。

 

いやぁ、これは、確かに傑作です。


でも、グレイの頭にある他者の作品についての知識があるかないかで、面白さはまったく変わってしまうだろう。そういう知識が各所にちりばめられているということに気が付いて読み進めると、ページごとに宝探しをしているような、、、、。
あぁ、わからない。私は、まだまだ、しらない。私のしらない宝が、まだまだ、この文章の中に埋もれているに違いない、、、そんなもどかしさも感じつつ、、、。読み進めた。
すると、エピローグに、突如として左右の大きなマージンがとられ、「盗作の索引」という文章が登場する。

本書に見られる文学作品からの盗作は3種類に分類できる。すなわち、他人の作品が体裁上明確に識別できる形で印刷されているまるごと型盗作、盗んだ言葉が物語の本文に密かに紛れ込んでいる埋め込み型盗作、風景、人物、出来事、新奇な着想など、それらを記述する原点の言葉を使うことなく盗んでいるぼんやり型盗作である。以下では、紙面の都合上、それぞれマル盗、ウメ盗、ボヤ盗と略す。”

と、書かれたうえで、延々と原文紹介と続くのだ。。。。これがまた興味深い。物語に深みを与えると言ったらいいだろうか。。。トマス・ホッブスリヴァイアサンからのボヤ盗、デイヴィッド・ヒューム『人間悟正論』からのマル盗、フランツ・カフカ『審判』から窓に映るシルエット、、、などなど・・・・。もう、本当にきりがない。

 

本当に、深く深く、面白かった。最初の第三巻での主人公はラナークという青年なのだが、ラナークの過去を語り始める語り手が登場するところから、第一巻、第二巻、と時間がまきもどされ、そこでは、ダンカン・ソーという少年が主人公になる。

第一巻と第二巻の部分は、多くは著者グレイの自伝のようなところがある。美術を目指して進学するあたりは、まさに、グレイの人生。そして、第四巻ではふたたび、ラナークの世界に戻る。エピローグでは、なんと「私は君の作者なんだ」という王様が奇術師として登場して、これまでの話は、なにもかも、紙に書かれたものに過ぎない、印刷の世界でしかない、、、と発言。おおぉぉ!!なんですとおぉぉ!!

と、順番に読み進めば、特に複雑怪奇な物語ではないのだけれど、奥が深くって、、、深くって、、、、嵌っていく、、という感じ。『白鯨』からの引用では、みんな波間に飲み込まれる最後、、、という話題が差し込まれていたり、はたまた、近未来の様な世界では量子コンピュータを彷彿させるような展開があったり、、、。
とにかく、、、ワクワクドキドキに事欠かない。

映画にしたら、R18指定だろうな、という箇所も多数。

 

村上春樹の世界を彷彿させる。あるいは、、、『即興詩人』の世界とも近い。

 

主人公が、自分の理想を追い続ける青年(少年)で、育っていく環境も整っていて、みんなから愛されているのに、それでも、愛を求め続ける。満たされないのは自分の理想が高すぎるからなのか。。。。加えて、容赦ない運命のいたずらに翻弄され、、、、。

 

テーマは?と言われれば、、なのかもしれない。
とにかく、すごい本だった。

 

ここ数年で、最高に楽しいほんだった、といっていいかもしれない。そして、もっともっと、本を読みたくなる。著者グレイをもっと知りたくなる。そんな一冊だった。

 

あまりに感動したので、本を買おうとおもったら、すでに絶版になっていて入手困難だった。定価3500円+税だけれど、中古市場は、6000円くらい。。。。どうしよう、、、と思って、まずは、定価で購入可能な英語のペーパーブックをポチった。。。まだ届かない。そして、やっぱり、、、手元に日本語が欲しいと思って、中古でポチった・・・。
いやぁ、ホント久しぶりに面白かったのだ。

 

ついでに言うと、グレイの『哀れなるものたち』(原作『poor things』)は、昨年映画化されて、ちょうど現在日本でも公開中。エマ・ストーン主演。これまた、めちゃくちゃ面白かった。原作とはだいぶ異なるらしい。こっちの原作もいつか読んでみよう、、と思う。

 

『ラナーク』のなかで、響いた言葉たちを覚書したいけれど、長くなりそうなので続きはまた明日。