『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』 by 三宅香帆

なぜ働いていると本が読めなくなるのか
三宅香帆
集英社新書
2024年4月22日 第1刷発行
2024年5月31日 第4刷発行

 

たまたま、YouTubeで見かけたのだ。彼女の出ている動画を。そして、本書の話のインタビューを受けていた。なんだか、面白そうだぞ!!と思って、図書館で借りようかとおもったら、すごい予約の数。で、買おうと思ったら増版中で在庫切れ。注文してから半月くらい待った。

 

まさに、タイトル通りの疑問をもったことはないだろうか?そうなのだよ、社会人の読書数は、びっくりするほど少ない。SNSをみる時間はあっても、本を読む時間はないのはなぜか?!?!私も、サラリーマン時代は今ほどたくさんの本を読むことはできなかった。物理的に時間がない、というのはいうまでもないが、、それだけではない、、、何かがあるというのが本書。

 

帯には、
” 疲れて スマホばかり見てしまうあなたへ 
読書史と労働史でその理由がわかる!”

 

表紙裏には、
” 「大人になってから、読書を楽しめなくなった」「仕事に追われて、趣味が楽しめない」「疲れているとスマホを見て時間を潰してしまう」・・・そのような悩みを抱えている人は少なくないのではないか。
「仕事と趣味が両立できない」という苦しみは、いかにして生まれたのか。自らも兼業での執筆活動を行ってきた著者が、労働と読書の歴史をひもとき、日本人の「仕事と読書」のあり方の変遷を辿る。そこから明らかになる、日本の労働の問題点とは?すべての本好き・趣味人に向けた渾身の作。

 読書人の永遠の悩みに気鋭の文芸評論家が挑む!”
とある。

 

 著者の三宅さんは、文芸評論家。1994年生まれ。高知県出身。 京都大学大学院人間・環境学研究科博士前期課程終了。専門は万葉集

 

動画のインタビューの中では、「本が読めないから会社をやめた」とはっきり言っていたのだが、目次のまえがきが「本が読めなかったから会社をやめました」だった。潔い!!素敵!!

 

目次
まえがき 本が読めなかったから、会社をやめました
序章  労働と読書は両立しない?
第一章 労働を煽る自己啓発書の誕生  明治時代
第二章 教養が隔てたサラリーマン階級と労働者階級  大正時代
第三章 戦前 サラリーマンはなぜ「円本」を買ったのか?  昭和戦前・戦中
第四章 ビジネスマンに読まれたベストセラー  1950~1960年代
第五章 司馬遼太郎の文庫本を読む サラリーマン   1970年代
第六章 女たちのカルチャーセンターとミリオンセラー   1980年代
第七章 行動と経済の時代への転換点   1990年代
第八章 仕事がアイデンティティになる社会   2000年代
第九章 読書は人生の「ノイズ」なのか?
最終章 「全身全霊」をやめませんか
あとがき  働きながら本を読むコツ をお伝えします


感想。
面白かった。
第一章~八章まで、日本社会の「本」に対する価値観の変化の考察で、それはそれでとても興味深い。でも、圧巻は、第九章だと思う。そして、彼女の主張は、最終章にある。

 

読書は「ノイズ」なのか?と。そして、「ノイズ」を排除すべしという流れがあっての読書離れがおきているのではいのか?と。そんな働き方やめましょう、って。

 

「いまここ」に必要としないものをノイズとしてしまえば、仕事に必要なもの、生きるのに必要なもの以外がノイズとされてしまう。読書による「思いがけない出会い」が「ノイズ」になってしまう。だって、そんなことしている時間ないんだもの!と。

だからこそ、最終章の「全身全霊」をやめませんか、ということなのだ。仕事半身、家庭半身、、、ちょっと古い言葉で言うと、ワークライフバランス

 

共感するなぁ、、、という点もあるし、いやいや「全身全霊」でいい時間というのも人生にはあるんだよ、、、とも思う。著者も、「全身全霊」を否定しているわけではないけれど、「全身全霊を褒める文化」が燃え尽き症候群を生み、「ノイズ」を楽しむ余裕を失わせているのではないか、と。

うん、なるほど。そうかもしれない。

 

かくいう私も、「仕事を辞めたらあの本読もう」と思っていたことがある。比較的、読書はする方だったと思うけれど、今のような数を読むだけの時間を確保するのは不可能だった。だからと言って、私は、「本を読むために会社を辞めた」わけではない。辞めて、結果的に本を読む時間が増えて、結果的に興味の幅が広がり、さらに「あれもこれも、、、」とデフレならぬインフレスパイラルのようになっている。

 

最初は、明治時代の読書について。ベストセラーは、実は福沢諭吉の『学問のすゝめ』より西国立志編1871年 スマイルズ中村正直翻訳)。

大澤絢子の『「修養」の日本近代』から引用されていた。

megureca.hatenablog.com


人口5000万人だった日本で、100万冊売れたらしい。その背景にあるのは、”Self-Help”、自助努力の精神。修養ブームが起きて、「環境に頼らず、自分で修養しよう」という空気が高まった。

著者に言わせると、『西国立志編』は、”そのホモソーシャルな空気に驚く”という。ようするに、男の成功物語。。。さもありなん。『西国立志編』は、「男性たちの仕事における立身出世のための読書」だった。

 

次は、大正時代。日露戦争後、国力向上のために全国で図書館が増設されて、小学校を卒業しても識字率を下げないために採用された手段が「読書」だった。そして「教養」によって、サラリーマン階級と労働者階級の格差が広がる。

 

昭和になると、『全集』の類が増える。それは、教養のための読書もあったけれど、形がそろって美しく、「インテリア」としての価値もあった?!らしい。
「円本」というのは、一冊1円で買える全集で、毎月一冊ずつ購入して集めるのが一つの娯楽だった。サブスクの元祖って感じか。

 

そして、戦後の1950年代になると紙の価格が高騰。そこで、「文庫本」が生まれた。

へぇ!!
紙の節約のために文庫本が生まれたんだ!でも、なんで最初から文庫本で売りはしないのだろうか?やっぱり、利益率は低いのかな。

 

ビジネスマンに読まれる本は、サラリーマンの日常を描いた小説で、映画化、TV化などで、さらに話題の本となった。熱血サラリーマンが活躍する物語は、日頃のうっぷんをはらすのに役立ったか?!?!

1980年代になると、女性のためのカルチャーセンターがはやって、女性著者の活躍も広がる。私にとってもちょっと身近な本がたくさんでてくる。
俵万智の『サラダ記念日』(1987)。我が家にも姉が買って本棚にあった気がする。その中から、一句紹介されているのだが、、、

 

「嫁さんになれよ」 だなんて 缶チューハイ二本でいってしまっていいの

 

いやぁ、、、なんて古風なというか、、、時代が、、、、。
当時10代後半だった私には、それなりに響いた一句だったと思うけれど、著者の感想が笑える・・・・というか、イタイ。

” 今や結婚の2文字は 缶チューハン二本で冗談めいて言えるような気軽なものではなくなったし、そもそも 「嫁さん」になってもいない女を「嫁さん」という呼び方をする男を令和の女は信頼しないのではないか

 

っはっはっは!!!
さすが、30歳。だよねーーー!!
平成どころか、令和の女だよねーーー。

 

昨今は、「パートナー」というのがスマートらしいけど。。。。LGBTQの人も使えるってことで。

 

そして、80年代になってくると大学卒=少数エリートという意識がうすれ、大卒でも企業での出世競争が激しくなった。そして、はやってくるのは、自己啓発本。小説は「僕」「私」が語る作品が売れるようになる。『窓際のトットチャン』500万部。『ノルウェイの森』350万部、『サラダ記念日』200万部。

コミュニケーション上手であることが出世に必要だった時代、自分語りの作品がうれたことと関係しているのかも、と。

 

1990年代になると、バブルの陰りがみえて労働環境変化とともに、新自由主義の風が吹く。そして、自らが「行動」することの重要性が語られるようになり、『脳内革命』、『小さいことにくよくよするな』『7つの習慣』といった、行動習慣をかえよう!という自己啓発本が売れる。

まぁ、どれもベストセラーだし、当時の私も読んで、面白い!とおもったし、影響を受けたと思う。7つの習慣なんて、いまだに企業研修でつかっているところがあるのではないだろうか、、。

 

そして、、、日本人の長時間労働はさらにどんどん長くなる・・・。読書をする時間は、どんどんなくなる。。。せめて、出世に役立ちそうな「自己啓発本」に手が伸びる。

本当に、読書の傾向というのは、著者のいうとおりだなぁ、と思った。

 

そして、著者が言うのは、「読書とはノイズである」ということ。ただ働いて生きていく上で必要な情報は、インターネットを使えば読書より速く手に入れることができる。ニュースですら、新聞より特定のキーワード検索をする時代、自分が必要と思うこと以外をノイズとすると、読書はノイズ、、、なのだ、、、と。

で、著者が言うのは、ノイズを排除しよう、ではなく、その逆。ノイズを楽しもう!ってこと。働き過ぎている日本人は、そのノイズを愉しむ余裕をなくしている。だから、「全身全霊」の全力投球で生きるのではなく、半身でいこうよ、って。

 

なるほど、と思ったのは、ノイズの話を「片づけ本」のロジックと重ねていること。自己啓発本というジャンル全体にいえることで、「自己のコントローラブルな行動の変革を促す」ということ。たしかに、自宅の片付けならコントローラブル。世の中がどれだけぐちゃぐちゃでも、自分の家、自分のところだけ片づければいいじゃないか、、と。自己の私的空間のみを浄化すればいい、、、、と。

自己啓発本は「ノイズを除去」する姿勢を重視している、と。

なるほどねぇ。

 

知らなかったことを知ることは、世界のアンコントローラブルなことを知る、人生のノイズそのもの。本を読むことは、働くことの、ノイズになる。

ノイズを除去せよという自己啓発本をよめば、読書から遠ざかる、、、。

著者の主張はまだ続く。


こういった、自己啓発本は、「やりたいことを仕事にすべきだ」という社会の風潮が後押しした。『13歳のハローワーク』は、自分探し、やりたいこと探しのためのベストセラーとなった。

社会学者の阿部真大が批判的な言葉としてつくった「自己実現系ワーカーホリック
」というのがあるそうだ。余暇を楽しむために、仕事をする、というのだっていいじゃないか、と、『13歳のハロ―ワーク』を批判的にとらえている。

 

余暇を楽しむ、偶然性に満ちたノイズありきの趣味を楽しむ、そういうことができる社会がいいな、と。

 

本書の中で、電通社員過労自殺事件の高橋まつりさんのSNSが引用されている。
” 就活してる学生に伝えたいことは、仕事は楽しい遊びやバイトと違って一生続く 「労働」であり、合わなかった場合は精神や体力が毎日摩耗していく可能性があるということ。”

好きなことで生きていくっていうのは、好きなことを仕事にするっていうのとは、違うのかもしれない。

 

「働いていても本が読める社会」、確かに、働き盛りには切実だよね。
もう、働き盛りを過ぎた私だから言えるけど、「ノイズ」を楽しめるって、ストレス度バロメーターだと思う。

自分の興味の範囲であれば、著者のいう「ノイズ」ではないだろう。ネットは、自分の興味のものが篩をかけられている。読書は、「自分から遠く離れた文脈に触れること」。

自分に関係のあるものばかりを求めてしまうのは、余裕のなさゆえ。

 

なかなか、考えさせられる一冊だった。

働き盛りの若者に読んでほしいな。

 

電車の中で、携帯ではなく本を読んでいる若者をみると、なんか、嬉しくなる。思わず何読んでいるのかなぁ、、なんてのぞき込んだりして、、、自己啓発本だと、ちょっとがっかりしたりして、、、怪しいおばちゃんになっている私。

ま、私も自己啓発本をあさるように読んでいた時代もあるけどね。やっぱり、キャリアポルノだよ。

 

megureca.hatenablog.com

 

そういえば、映画『PERFECT DAYS』の役所広司は、読書ができる働き方だったな。

 

本をもって、街に出よう!!

読書は、楽しいよ!!

 

ノイズを愉しめるようになるって、歳をとることの良さの一つ、かもね。