『神と人と 言葉と  評伝 立花隆』 by  武田徹

神と人と 言葉と  評伝 立花隆
武田徹
中央公論新社
2024年6月10日 初版発行

 

日経新聞の2024年7月27日 書評 で紹介されていた本。 立花隆さんについての「優れた評伝」と紹介されていたので、 図書館で借りて 読んでみた。

 

著者の 武田さんは、 1958年生まれ。 ジャーナリスト、 評論家、 専修大学文学部教授。 国際基督大学大学院比較文化研究科博士前期課程修了。 『 流行人類学クロニクル』『「 隔離」 という病』『 なぜアマゾンは1円で本が売れるのか』など、たくさんの著書があるようだが、 私は読んだことがない。

 

まえがきでは、いきなり「立花隆は苦手だった」と始まる。。。だったらなぜ?という感じ。 私の中では、立花さんは雲の上のようなあこがれの人であり、(よくは知らないのに、、、本能的にそう感じている)、なにがどうすると苦手になるのだろう?と思った。

 

立花さんは、1940年生まれ。つまり、戦前生まれ。一方の武田さんは1958年生まれで、歳の差18。直接、親しい交流があったわけではないけれど、同じジャーナリストとして、尊敬と反発が入り混じった感情だった、、、という感じだろうか。日経新聞記事では、「優れた」というのだから、きっと読み応えあるのだろう、、、と、ちょっと違和感も感じつつ、437ページの分厚い単行本を読み始めた。

 

目次
まえがき ー 立花隆 は苦手だった
1  北京の聖家族
2  焼け跡の欠食児
3  20歳の頃の反核運動
4  現代詩と神秘哲学
5  ヤクザと言語哲学  週刊誌記者時代
6 『 論理哲学論考』の磁力圏  「 田中角栄研究」
7  ジャーナリズム+αへ  『 宇宙からの帰還』
8  もう一つの調査報道  『脳死
9 相移転と踏み止まり
10  東大教授になったジャーナリスト
11 「 立花先生、 かなりヘンですよ」
12 ニュー・サイエンスと「知の巨人」
13 「あの世で会おう」  『 武満徹・ 音楽創造への旅』
14 回帰と和解のとき
あとがき  立花隆版『論理哲学論考
創作と現実の間 【対談】 大江健三郎 ×  立花隆
参考文献

 

感想。
うむ。私のしらない立花さんがいる。もともと、、、、そんなに良く知っているわけではないので、へぇ、、、そうだったのか、、と、立花さんの伝記っぽく読めるところは面白い。でも全体に、、、愛を感じない気がするのだ。著者の立花さんへの愛が・・・。どこか、つっけんどんで、言葉の端々に棘を感じる。そんな読み方をしたのは、私だけかもしれないけれど、、、、立花さんの生い立ちや仕事を丁寧に説明しながら、それを著者の解釈で立花さんは「〇〇とおもってこうしたのだろう」などと解説が入る。そこに、ちょっと、、、上から目線を感じるというか、評伝なんだからそういうものと言えばそうかもしれないし、、、極めて客観的、と読む人もいるのだろう。

 

たしかに、立花さんはジャーナリストとして、「田中角栄の金脈」を暴いたという実績があり、サイエンスにも興味を持ち、晩年には臨死体験とか死の世界とか、どこかサイエンスではないところへも足を踏み入れた感じはある。でも、だから、それが、立花さんの魅力なのだ。深く、狭い、専門領域で語るのではなく、広く物事を関連付ける力が、それを表現する力が、私には何より魅力なのだ。

 

って、たいして立花さんの著書を読んでいるわけでもないのに、なぜ、私は立花さんに惹かれるのだろう、、と思うと、そういうところなのだ。専門家然としていないところ。だけど、深く追求する姿勢。この「素人は黙っていろ」といわれがちな日本社会の中で、臆せず追求し続ける姿勢、それが好きなのだ。

 

立花さんは、2021年4月30日、80歳で急性冠症候群のため亡くなった。ガン闘病もされていたが、亡くなった直接の理由は、循環器系だった。私には、大きな喪失感だった。サイエンスについて語ってくれる巨人が逝ってしまった、、、という感じ。

 

先日、松岡正剛さんが亡くなった。松岡さんもまた、私の中では大きな喪失感なのだが、彼の場合は思想というか、思考の方法論が興味深く、それは編集工学研究所に受け継がれていることもあって、この先も松岡さんに触れる機会は多くあるような気がするのだ。

それに比べて、立花隆さんは、「個」だったなぁ、という気がする。結婚生活には向かなかったようだけれど、葬儀は本人と遺族の意思で家族葬で行われている。また、仕事仲間、教え子、多くの人たちに慕われ、亡くなった。私も今でも立花さんファンだ。

 

立花さんの両親は、クリスチャンだった。本人は洗礼をうけていない。でもキリスト教を理解している下地があってのウィトゲンシュタイン論理哲学論考への理解だったのだ。

 

私は、未だウィトゲンシュタインを理解できない。哲学の前に宗教だな、、といつも思うのだが、キリスト教を勉強したいとおもいつつ、、、積読本が山積みになっている・・・。ドフトエフスキーも然り。。。

 

立花さんにとっても、著者にとっても、 ヴィトゲンシュタインが大きな存在だった。

「 語りえぬものについては、 沈黙しなければならない」

である。

 

本書の中で、著者は、立花さんは「語りえぬもの」を語ってしまったのではないか、、、、といって、それを批判しているように、、、私には聞こえる。。。

私は、語りえぬものについて語ってもいいじゃないか、と思うのだ。まちがっていたっていいじゃないか。。。。それが、世の中を惑わせたり、善からぬことを扇動するような語りなら困るけれど、「確証のあること」しか語らなかったら、世の中どれほどつまらないことになるか。。。しかも、専門家ではない人が語ることで、議論の場ができる。ジャーナリズムというのは、なにかを伝えるだけではなく、何かを「議論する場」を提供することが重要なのではないだろうか??

と、まったくもってジャーナリズム素人だけれど、わたしは、「議論する場」を提供してくれる人が好きなのだ。そして、私自身もそうでありたいと思う。ディベートがしたいのではない。正しいか、間違っているかを裁きたいのでもない。考えたいのだ。

モノ言う立花さんを、私は今でも応援している。。。

 

最初の方の項で、立花さんの若き頃の話を読んでいると、あれ?なんか、その姿、どこかで読んだぞ??と思った。そうそう、江副浩正の本の中で、あたまがぼしゃぼしゃで、変な奴だったけれど、すごい奴だった、、と出てきたのが橘隆志だった。

 

ちなみに、立花さんは、本名・橘隆志だが、記事を書いたり、もろもろ文筆のためにいくつかのペンネームを使っていたらしい。自伝的記述では「菊入龍介」というペンネームをつかった。

 

幼いころから本の虫で、子供の頃には科学への興味が強かった。『キュリー夫人』でサイエンスに開眼したらしい。

 

そうか、キュリー夫人か。もしかすると、私が立花さんに惹かれるもとは、キュリー夫人に開眼させられた人だからかもしれない。。。

 

先日、知人との会話の中で「人生に影響を与えた人は?」という漠然とした話題がでた。大人になってからの話ではなく、子どもの頃、という文脈で。わたしは、「キュリー夫人かなぁ」と答えた。私が理系に進んだのは、父の影響が大きいと思うけれど、キュリー夫人のように自分もなってみたい、、と小学生の頃に思ったことがある。身をはって実験したから浴び過ぎた放射線が原因で亡くなってしまったわけだが、そこまで研究にのめり込めるということが羨望のまなざし!!だったのだ。

そうか、、、キュリー夫人の探求心。私は、立花さんにその姿を見ていたのかもしれない。

 

立花さんは、中学生の時点で、「愛やキリスト教について理解」ができるようになれば、欧米の文学をもっと理解できるようになれるかもしれない、と作文で書いている。どんだけすごい中学生だ!!

 

そして、学生の頃は反核運動に熱を注ぐ。欧州で行われた世界会議に、唯一の被爆国からの代表として参加し、バートランド・ラッセルの演説も聴いている。


卒業論文のテーマは、「メーヌ・ド・ビラン」だったそうだ。神秘哲学

 

そして文春に入社した後、再び大学に戻って哲学の世界へ。東大闘争によって授業が出来なくなるというのは、立花さんにとっては腹立たしいもの以外の何物でもなかった。授業ができなくなったので、再びジャーナリズムの世界へ。そして、江副さんとの交流。江副さんが1936年生まれだから、江副さんがちょっと年上。

megureca.hatenablog.com

 

その後、「田中角栄研究」である。1976年、ロッキード事件が世間を騒がしていた時、私は小学生だったので、その衝撃をよくは理解できていなかった。ただ、大変なことが起きたんだな、っていうことは分かった。事件そのものも衝撃だが、政治家の金・女の話を表にだすというのは、メディアとしても衝撃的なことだったのだ。いまじゃ、どうでもいいような事でも人のあげあしとりしているって感じだけれど・・・。 

 

中盤以降は、立花さんの様々な著書に対する考察。

 

1971年『思考の技術』で、エコロジーという言葉をつかっても世間には理解されなかった。地球温暖化とか環境ホルモンとか、まだ、環境に関する社会の興味が高くなかったからだろう。そして、90年に「エコロジー」が一般的になりはじめたころ、『思考の技術』は文庫化され、2020年には、「知の巨人のデビュー作」というコピーを添えて『新装版 思考の技術 エコロジー的発想のすすめ」が再復刻された。

 

著者は、立花さんの主張が色々と変遷していて、
「自分が不安だから立花は人類を思いやる」と書いている。

立花さんが不安だったかなんて、なんであなたにわかるんだい!!とちょっと、反発を覚えてしまった・・・・。

 

随所に「・・・と立花は考えていたのではないか?」という言葉が出てくる。
なぜか、それを素直に、そうだよね、、、と感じ入れないのだ・・・。私がへそ曲がりかな。

 

8項で展開される『脳死』については、立花さんは、「竹内基準」(杏林大学名誉学長の竹内一夫氏が1985年に旧厚生省研究班の班長としてまとめた脳死判定基準で、日本の脳死臓器移植の確立に道筋をつけた)について、直接本人に取材している。そして、「人工呼吸器なしに脳死は発生しない」という事をしり、他の専門家にも取材を進める。そのうちに、「竹内基準」に疑問を持ち始め、脳死を教えてくれた竹内教授に対して異を唱えるようになる。

 

脳死は、人の死か?
今も続く問題、のはず。
私には、脳死が人の死とは思えない。。。

 

『宇宙からの帰還』について、著者は「語りえぬことをかたっている」ととらえているようだ。いいじゃないか。。。私には、『宇宙からの帰還』は、とても興味深い。

megureca.hatenablog.com

 

90年代、東大の教授( 東京大学先端科学技術研究センターにて)となった立花さんに対して、インターネットが使い放題という条件に子どもみたいに喜んで、非常勤で給料もわずかな教授の職をうけたことを、ちょっと、、、上から目線でけなしているように、、、私には読み取れた。

「似たような境遇を生きてきた筆者にとって・・・」と書いているのだが、似てないよ!と突っ込みたくなった。。。たしかに、著者もジャーナリストでありながら、大学教授になったらしいが、、、。

 

当時の教え子がかたった言葉が素晴らしい。
自分の”知りたい”気持ちをエンジンに、 翼を広げ、 どこへでも飛んで行け。
  立花先生は、 きっとそんな思いで、 背中を押してくれていたのだ。

それだよそれ!!!
”知りたい気持ち”それこそが、全てのエンジンなのだよ!!

 

12項では、「ニュー・サイエンス」について。著者は、立花さんの『臨死体験』などのアプローチに対して、

”ニュー・サイエンス的見方に取り込まれるが立花にあったことも事実だろう”と書いている。

隙、、、、。そういうか?!それは、「余裕」というのだよ。。。

でもって、ニュー・サイエンスって何??

本書の中では、
西欧近代科学の 物質主義・ 要素還元主義に対して批判的」と書かれているのだがよくわからない。

ネットで調べたら、
”1970年代に米国の自然科学分野で起こった近代主義運動の一つ。西欧科学の根幹である物質主義・要素還元主義の克服を目指した。米国では本来ニューエージサイエンスと呼ばれたが、日本でニューサイエンスと呼ばれるようになってから、米国でもこの言葉が使われている。”とあった。

ちょっと、スピリチュアルな感じ??

 

それも、あっていいじゃないか、、、と私は思っている。私も一応理科系博士だ。だけど、科学が、証明されていることだけが世界ではない。だいたい、量子力学なんて、どこか異次元的だ。。。とういうか、、、私の理解を越えているだけか。

 

本書の中で、中盤ほど、著者の立花否定が目につく気がする。。。全般にわたっているわけではない。そもそも、評伝を書こうというのだから、興味の対象であり、批判したくて書いているのではないと思う。でも、中盤は、「隙があった」とか「XXXXできなかった」とか「追い始めた立花の弱さ」とか、「立花のあとがきが悪目立ちする」とか、言葉に棘を感じる。

出来なかったのか、しなかったのか、、、それは本人にしかわからないではないか。

 

武満徹との交流があったというのも知らないなかった。そして、音楽に触発されるということは、哲学に触発されるのと似ている、、と感じた。

 

私は、立花さんの人間臭さが好きだ。

本書を読んで、まだまだ立花さんの本で読みたいものがたくさんあるなぁ、と思った。

また、こうして立花さんの人生を追って評伝を書いてもらったことで、時代の流れ、歴史の変遷も垣間見ることができた。

 

力作なんだろう、と思う。

読んでよかった。

けど、、、いじわるな表現だけが、ちょっと気になった。

他にも武田さんの本を読んでみよう、、という気持ちにはならなかった。

私はね。

あくまでも、個人的感想である。

でも、こうして、立花さんの評伝を書いてくれたことには感謝。

あれ?他にないのかな?

ありそうだな。。。

今度探してみよう。。。

その前に、立花さん本人の著書だな・・・。