国民国家

国民国家

Nation-state

 

いつからそのようなものがあったのか?

そして、国って、なんなんだ?

 

私は、オリンピックやパラリンピックを見ても、日本だから、日本人だから応援しよう!と、そんなに強く思う方ではない。そりゃ、日本人が勝つと、よかったね、うれしいね、って思うけど。
柔道などの個人競技ですら、画面に国の名前で対戦が放映されることに、ちょっと違和感を感じる。○○さんvs○○さんの試合ではなく、○○国vs○○国となっている。サッカーや野球などのチーム戦ならわかるけど、、、、。

 

国って、何なんだ?

一応、日本のパスポートを持つ日本人だけど、いつから、パスポートなんてものができたんだ?とか、ふと、思った。あんなの、ただの紙っ切れといえば、紙っ切れ。いまは、電子情報が入っているとはいえ、ただの書類。。。。

 

ワインの歴史や、ヨーロッパの歴史の話を読んでいて、理解できないことがある。

国って、なんなんだ?ってこと。

普仏戦争で、ある日を境にフランス語の授業ができなくなるアルザスの街。住んでいる人は変わらないのに。

megureca.hatenablog.com

紀元前6000年ころにジョージアで始まったとされているワイン造りは、領土を求めて人が移動することで、世界中に広がっていった。そのころ、国民国家などという概念はなかった。でも、今は各国それぞれのワインの法律がある。

 

国家なんて、人間がつくった境界であって、もともと地球に線が引いてあったわけではない。

でも?、だから?、戦争は境界線をめぐって起こる。

 

2021年8月31日のアメリカ軍撤退期限を前に、アフガニスタンから、国境を越えようと、安全を求めて人が国外退避しようとし、空港に殺到した。アメリカの関係者だと自分の身分を示そうと、紙切れを頭上に掲げるフェンスの向こうの人々・・・。パスポートも役に立たない。

迎えた、9月1日、アフガニスタンはどうなっていくのか?

 

国境という地図の上の線を越えても、空間はつながっているのにも関わらず。今の世界の常識として、国境を超えると、安全が確保されるという事が起こりえる。

 

ふと、頭の片隅に、以前読んだ本の中にあった、国民国家という言葉が思い出された。

 

「ぶれない軸をつくる東洋思想の力」(田口佳史、枝廣淳子著)によると、

1647年に三十年戦争講和条約として結ばれたウエストファリア条約から。

この条約をもって、主権国家間の国際関係である主権国家体制が成立した。

小さい単位だと面倒くさいから?!大きな網をかけて国家というふうにしよう、としてできたのが国家。Nation-state。

 

どういう主義主張を持っていようが、どういう伝統を持っていようと「みんな一緒になった方が力が出ていい」ということで、できたのが国家。

国家が、福祉やらいろいろめんどうみてくれるならいいよね、ということでできた。

そこに住む人々が同じ主義主張であるわけではないけど、国民国家

 

megureca.hatenablog.com

ということで、国家というのができたのは、たかだか370年程度の歴史しかないということ。

 

内田樹さんの「日本辺境論」だったと思うのだが、日本というのはアメリカとかと違って、「こういう国をつくろう!」として作ったくにではなく、古事記の時代からなんとなく、日本、、、になっていたといったことが書かれていた。ビジョンなくして、自然とできてしまったのが日本。。。

 

境界線を引く必要はなく、最初から海という境界があったから、日本になった。

地方がそれぞれバラバラで、天下統一をめざした時代もあったわけだ。

藩が県に変わり、日本列島という空間は変わらないけど、日本としての国民国家ができてきた。戦争があって、日本国憲法ができて、今の日本ができてきた。

 

でも、1945年の日本と、2021年の日本は、だいぶ違うだろう。それでも、おなじ、日本と呼ばれる国。日本ってどんな国?って聞かれたら、何と答える?
憲法第9条のある国?

無形文化遺産「和食」のある国?

 

そして、また別の本、茂木健一郎さんと吉本隆明さんの対談の本(「『すべてを引き受ける』という思想」で、空間の多様性から、国民国家の話につながっていた。

megureca.hatenablog.com

 

国と国とを線引きする「国境」という境界があって、国民国家が存在している。地図の上の国民国家。でも、国によってそのあり方は異なる。日本、北朝鮮、中国、、、それぞれ全然違う。インターネットのようなグローバルなメディアも使われ方が違う。その国という空間の中での多様性。

同じ日本という国の中でも、その空間には多様性がある。国という単位の中に、空間の多様性がある。方言があったり、地域特有の季節行事があったり。

多様性はあるけど、一つの国民国家。とそのようなことを茂木さんが言って、

吉本さんは、「多様性は重要だ」ではなく、「多様性は重要そうだ。。」と、対話の中で思ったかのようにつぶやかれている。

 

国民国家って、一応、その国のルールでできている一つの集団だけど、中身は、空間は、色々。人もいろいろ。

でも、一つの国。

 

国って、人間がつくった一つの仕組みなんだよな、と、改めて思う。

人間は人間が作った仕組みの中で、時に癒され、時に攻撃され、生かされている。

 

社会的動物ってことか。

 

と、パラリンピックをみながら、国を考え、

高校野球をみながら、地方のことをふと、考えた夏でした。

 

コロナでどこも行けないと、変なことを考えるもんだ。。。

 

ま、日本に生まれてよかった、と思える日本にしたいものだ。

一応、立憲民主主義の国だからね。

私たち、一人一人が未来を作っているはず。

 

世界の未来を作るほどのことはできなくても、

日本の未来づくりには参加しているはず。

 

一番は、自分の未来づくりだ。

健康でいることが、一番。

運動が、未来への投資。

悩んでも、まずは、運動して、美味しく食べて、寝ることにしよう。