鎌倉の明王院へ行った。
住職のご厚意により、荻江節三味線のお浚い会を本堂で開催させていただいた。
50の手習いで始めた、三味線の発表会。
JR鎌倉駅から、京急バスで10分くらい。
土曜の午後という事もあって、鎌倉は結構な人でにぎわっていた。
明王院は、1235年、鎌倉幕府四代将軍 藤原頼経により建立された寺院。鎌倉幕府の将軍の発願によって建立された、鎌倉市内に現存する唯一の寺院だそうだ。
住職が、三味線の家元のお知り合いということで、お浚い会の場所として本堂を提供してくださった。本堂にいらっしゃる五大明王にお尻をむけて演奏することになるので、そんなことはできない、、、と、一端は辞退されたらしいのだが、屏風を立てれば、ということで、贅沢にも本堂で演奏させていただいた。
贅沢にも、金屏風の前で、神様にお尻を向けて、、、つたない演奏をさせていただいた。
本番の前に、住職が本堂の五大明王を紹介してくださった。
演奏前に、神様にご挨拶。
中央に、不動明王。不動明王に目を奪われてしまったのだが、他に、大威徳明王(だいいとくみょうおう)、軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)、降三世明王(ごうざんぜみょうおう)、金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう)。
明王院は、もともと鎌倉幕府、将軍家の祈祷所。
お願い事をかなえるために、お参りする寺院。
鎌倉幕府の最大の危機、元寇のときにも、明王院で異国降伏の法要が修された記録が残っているという。
強くお願いしたいことがあるとき、五大明王の前でお願いするという。
毎月28日には、護摩法要が開催されていて、予約なしでも、だれでも参加することができるそうだ。「ぜひお越しください」、と住職。
住職によると、不動明王の怒った怖い顔は、「慈愛の顔」であるそうだ。
ただ、怒っているのではなく、慈愛があるから怒る。
子供がとても危ないことをした時に、「ダメでしょ!」と怒る親の顔。
なるほど。
そういう事だったのか。
夕方、陽が落ちてから、堂内の薄暗い明かりの中で見ると、不動明王の顔が燈明に照らされて、明るい昼間に見た時よりも、より、生き生きと、怒っているように見える。
でも、慈愛なのか、と思ってみると、そういう気がしなくもない。
全体にすごく力強い像で、勢いをかんじるのだけれど、そうか、慈愛か、と思うとそのように見えてくるから不思議だ。
木像ということだけど、こんなの作ったの、すごいなぁ、と思う。
子供の時に、「不動明王はあなたの神様だよ」と、言われたことがある。
法事の席だっただろうか。
宗教とはほぼ無縁の生活をしていたので、何を言われているのかさっぱりわからなかった。いまでも、それがどういう意味かわからないけど、、。
ただ、その時みた不動明王は、やっぱり怒った顔をしていて、強そうだった。
「かっこいいじゃん。」と、ただ、そう思った記憶がある。
観音様とか、女性の神様ではなくて、不動明王が自分の神様って、ちょっと、強そうじゃない、と。
明王院は、檀家制度をとっていない寺院だそうだ。
維持管理は、大変だろうと思うけれど、明るくお話の上手な住職。
ひっきりなしにお参りに訪れる人がいた。
地域にも愛されているお寺なんだなぁ、と思った。
派手なものはないけれど、静かな空気がそこにある。
鎌倉時代に、裏山の崖を削ってつくられた地だそうだ。
お願いごと、かなえてもらえそうな力強さがある。
ホントは、願い事をかなえるのは自分しかいない。
でも、自分にはできる、って思える勇気をくれるのが不動明王かもしれない。
あるいは、この静かな空気が、自分の中の決意を固める手助けをしてくれるのかもしれない。
三味線のお浚い会が、予定していた会場がコロナやら何やらでキャンセルになり、住職のご厚意で使わせていただいた明王院。
住職、そしてお浚い会のためにお手伝いしてくださった皆様、師匠に感謝。
お稽古事も、色々あるから、楽しい。
今年の三味線のイベントは一つ終了。
また、来週から新しい曲に挑戦。
新しいことを始めるのって、ワクワクする。
11月7日、立冬の朝に、改めてそんなことを思った。
冬が始まる。
春に向けて、冬が始まる。
2021年、やり残しを見直そう、って、そんな気分。