「グローバル教育 地球村への10のステップ」
ご縁あって、渥美さんの「グローバル教育 地球村への10のステップ」の特別版として1日アクティブラーニングに参加した。 有志の会で、20人弱。
渥美さんは、名古屋出身。青山学院大学助教授からハーバード大学研究員へ。1990年代からグローバル教育というジャンルを開拓。 IBM、 デュポン、ユナイテッドテクノロジーズなど世界のトップ企業を顧客にして、企業のグローバル化を推進された方。その活動は「タイム誌」等で取り上げらていれる。2001年同時多発テロを機に世界共通教育の必要性を提唱し「地球村への10のステッププログラム」を作成。現在は、米国から帰国され、青少年のグローバル教育に力を入れてらっしゃる。
初めて直接お会いしたのだが、たぶん、、、2001年の段階で結婚されているお嬢さんがいたようなので、、、ゆうに70歳は越えてらっしゃると思われる。もしかしたら80くらいかも?!?!でも、お元気に活躍中の方。
今回は、本来、小学生高学年~中学生を対象に3日間で行っているワークショップを、ぎゅっと凝縮して紹介していただいた。
「実際に、13歳になったつもりで考えてみてください」、というお題をいただきつつ、これから、このプログラムをいかにブラッシュアップし、いかに活用していくべきかと言う討論を含めての一日ラーニング。
9:00~17:30まで、みっちり。
最初に、なぜ、このプログラムを始めたかの紹介。
渥美さんは、2001年米国同時多発テロの時に、アメリカで生活していた。娘家族を含め、家族がいきなり日常の生活を奪われた。そして、悲嘆にくれるアメリカ人と、サウジアラビアで祝杯をあげる人々を目の当たりにし、アメリカでの「世界の中心にアメリカがある」という教育に大きな疑問を感じた。そして、子供たちにどう教えるべきなのか?ということに取り組み始めたという。
大人のビジネスとしてのグローバル教育を越え、子供たちにどう伝えていくのか。
そして、できたのが、「地球村 10のステップ」
ステップは、子供たち向けにつくられているので、実際に身体を動かしておこなうワークも含まれる。地球上で人々がどのように交流を深めていったのか、ギリシャ時代、シルクロードの話など。
「文化の世界地図」を用いて、各国の文化は、何を社会の基盤とするかによってことなる、という文化コード(リーガルコード・モラルコード・レリジャスコード)の話。
そして、人々の交流が広がるにつれ、次は戦争の時代になる。技術開発が進んだことで、戦争という「悲劇」と、生活の革新と言う「偉大な仕事」との分かれ道ができる。
アンネ・フランクの日記や、1992年国連環境開発会議でのセヴァン・スズキのスピーチ(12歳のカナダの少女、環境保護の訴え)が紹介され、子供たちに自分と同世代でも世界にむけて発信している子がいることを紹介。
自分だったら、世界に何を発信するか、スピーチを考えよう、というワーク。
そして、みんなで「地球村」の新しいルールを考えて、サミットを開催してみるのが最後のワーク。
学校やその時の子供の様子によって、適宜、説明やワークを工夫するそうだ。なかなか大変そう。
「文化の世界地図」は、渥美さんオリジナル。
3つの文化コードで、世界は色分けされている。
渥美さんが、色々な国の人と実際に話ながら作ったということだが、これは、そうとうな大仕事だと思われる。
リーガルコード:社会のルールが知識の交換や契約による取り決めを基盤としている、ルールが社会の中心。原型はキリスト教新教。アメリカ・カナダ・イギリス、など。
モラルコード:社会のルールが階層社会において人間関係がどうあるべきかを基盤としている。人間関係が社会の中心。原型は儒教、キリスト教旧教。日本・アジア諸国(イスラム教国を除く)・ラテンアメリカ諸国、など。
レディジャスコード:社会のルールが宗教の教えを基盤としている。原型はイスラム教。神の教えが社会の中心。中東諸国など。
地図には、ミックスコード、として三つが混在している地域もある。
グローバル化が進んだげ現在では、おそらく、ほぼすべての国がミックスコードと言ってよいのだろうが、その中でもどれが特徴的か、という事なのだと思う。
ただ、個人的には違和感もたくさんあり、「グローバル化以前の文化の世界地図」とかしたほうが、否定的意見がでないだろうな、と思った。
この中の何が正しいとか、正しくないとかいう事はさておき、重要なのは、世界が確実にグローバル化しているということだ。二国間貿易から、地域貿易へ、そして、地球貿易へ。そして、そこには基盤となる考え方が異なる文化があるという事。
また、「グローバル」と「インターナショナル」は違うという認識が必要ということ。
グローバルは、俯瞰視点で全体を見渡す必要がある。
インターナショナルは、水平だ。かつ、自国の色眼鏡をかけてみていると。
グローバル人材というのは、
「自国の問題だけでなく、世界と向き合う俯瞰思考」
「多様性を理解したうえで、プライオリティーをつけられる思考力」
「解決に向かって、行動を起こすことが出来る行動力」
が、必要だという。
今回の議論の中で、
「グローバリスト」と「グローバル人材」は違うのだという渥美さんの発言があった。
「グローバリスト」は、自分の利益のために地球規模でビジネスをする人。GAFAはそうだと。格差勝ち組。
「グローバル人材」は、地球のために、ビジネスをする人。
はたして、そうだろうか?
私は、違和感を感じた。GAFAを格差拡大の勝ち組として排除したい人が言っているだけではないだろうか?
GoogleやAppleのおかげで、生活が豊かになった人はたくさんいるはずだ。
「グローバル人材」の英訳はあるのか?と質問してみた。
今のところ、ない、とのこと。
であれば、まだ、グローバリストとかグローバル人財とか、言葉の定義がグローバルには定まっていない段階であり、二者を明確に表現する新しい言葉が必要なのかもしれない、という議論に広がった。
また、今回の一連の討議の中で、「倫理」と「道徳」についてもその定義について意見が分かれた。そもそも、定義するべきでない派、明確に定義して使い分けたほうがいい派。
「倫理」:外から与えられるもの
「道徳」:内から湧き出るもの
「倫理」ethics の由来は、ラテン語の「習慣」からきている。
倫理も道徳も重なるところがあって当然ではないか、という意見。
コミュニケーションが成立しないことの理由に、相互に言葉を違う定義でつかっているから、ということは日本語の会話でも起こりえる。言葉って、道具なだけに、解釈はいかようにもできてしまう。難しいし、だから、そこに含まれる意味を「読む力」が必要なのだと思う。
子供たちにスピーチのワークをさせるために、「スピーチツール」というものが教材についてくる。
これは、なかなか、いい!
隣のメンバー人とも「これ、会社でも使えるな」と言う話で盛り上がった。
渥美さん曰く、このような「フレーム」を使うことには躊躇もあったが、つかってみると、何を言っているかわからない日本人のスピーチも、分かりやすくなる、ということで、今は教材に含まれている。
「スピーチツール」は、こんな感じ。
・私の伝えたいことは・・・・・・・・・・・・です。
・なぜならば、私のこころを揺さぶったのは、・・・・・・・・・・・だからです。
・もっと身近な例で考えてみると、例えば・・・・・・・・・ということもあります。
・それに対して私の意見は・・・・・・・・・・・だからです。
・本音をいうと実は、・・・・・・・・・・・です。
・だから私が声を大にして言いたいのは、・・・・・・ということなのです。
・私は、大人に対して・・・・・・・・・・・と言いたいのです。
・地球に住む全員に、・・・・・・・・・・・・という事が、伝えたいです。
・わたしたちの未来のために、・・・・・・・・・・です。
・今の私にできることは、・・・・・・・・・・です。
・私はここに宣言します。・・・・・・・・・・。
大人でも、つかえるところ、ありそうだ。
最後に、ルールを作ってサミットを開く、というのがプログラムになっているのだが、どうして、ルールにするのかな?というところは、私にとっては違和感だった。
ただ単に、わたしが、ルール嫌いだから、、、、。
ルールではなく、なぜそれが大事なのかを文字化した方がいいようにおもうのだけれど、渥美さんは、リーガルコードをすすめたいのだろうか?
そこは、ちょっとよくわからなかった。
ただ、プログラムの中で「十戒」「十七条の憲法」「マグナ・カルタ(大憲章)」「米合衆国憲法と権利の章典」について学ぶステップがあり、人々に何か普及させるには、ルールにして発布することが必要、ということのようだ。
これらのルールは、危機があって作られた、ということ。
いま、地球が立ち向かう危機に対して、ルールを作って地球村をまもろう!ということだろう。
セヴァン・スズキのスピーチは、以下のYouTubeで見ることが出来る。
なかなか素晴らしい。両親が活動家で、子供の時から様々な海外に連れていかれ、自然と触れ合う機会が多かったとのこと。自ら、サミットでスピーチをしたいと言いだし、旅費を募って、ブラジルへ。サミットへの参加が認められていたわけではなく、とにかく現場へ。スピーチは最後の日に、子供だし、6分なら、ということで許されて、実施。
「解決に向かって、行動を起こすことが出来る行動力」
グローバル人材に限らず、だれにでも大切な力だと思う。
時々、こうしてセミナーに参加すると、たくさん刺激がある。
学びは楽しい。