赤鬼青鬼と火の車
今朝教えていただいた、禅の言葉。
地獄から、赤鬼青鬼が、火の車を引いて出てきて、
「さあ乗れ」と言ったらどうするか?
公案 雑則(和語の公案)
公案雑則というのは、インド、中国から日本に伝わった禅が、日本型禅となって行く過程で、日本でつくられたもの。江戸時代の白隠禅師の時代に多くつくられた、日本語の公案。
坐禅は呼吸を整えて座ることが全て。
公案は、一つのカリキュラムで、気づきを早めたり、深めたりするもの。ということは、公案と言うのはヒントに過ぎない。頭で考えるものではなく、単なる問答でもない。頭と口で対応するものではない。
赤鬼青鬼が、閻魔大王の命令で、前世で悪事を働いた者を閻魔大王の前につれていき地獄で懲らしめるため、死にそうな人の前に、「火車」という「火焔燃えさかる車」を引いて駆け足で迎えに来ることがある。
さあ、その時どうするか!
これは、あれこれ考える暇のない、修羅場。
考えるのではなく、さっと答える。
前頭葉で色々考える時間はない。
死の直前、どう対応するのか??
考えてもウソになる。
その場で、さっと対応する。
考えることをやめて、対応する。
う~~~ん。
前にも紹介いただいた公案なのだけれど、やはり、よくわからない。
考えることをやめる。
坐禅をつづけていると、そういう日は来るのだろうか。
無になろうと思えば、無になれない。
考えないとおもえばおもうほど、考えてしまう。
ここは、よくわからないけれど、言われるままに坐禅をし続けてみよう。
頭で考えないなら、体で感じるしかない。
我流であれこれ考えるより、師匠の言葉をそのまま受け止めて体現する方がよいこともある。
考えるのではなく、さっと答えなきゃいけない場面。
死の直前に限らず、人生ではそんな事態に出くわすことはある。
そんな時、さっと答えられるか。。。
”惑わず”答えらえる日がくるのかはわからないけれど、これだと思うことを続けてみよう。
考えている暇があったら、動いてみよう。
赤鬼青鬼が迎えに来る前に。。。