『奇跡の人』by 原田マハ

『奇跡の人』
原田マハ
株式会社双葉社
2018年1月14日第1刷発行
2018年3月29日第6刷発行
*本作品は2014年10月、小社より刊行されました。

 

図書館にあった原田マハさんの文庫本。まだ読んでいない本だと思ったので、借りてみた。

表紙が綺麗な絵だったのでまた美術の話かなと思ったら、本のタイトル通り『奇跡の人』の話だった。そう、あのヘレンケラーとサリヴァン先生のお話が、時空を超えて日本でのフィクションとして描かれている。

 

本の裏の説明には、
アメリカ留学帰りの去場安(さりばあん)のもとに伊藤博文から手紙が届いた。「盲目で、耳が聞こえず、口も聞けない少女」が青森県弘前の名家にいるという。明治20年、教育係として招かれた安はその少女、介良(けら)れんに出会った。使用人たちに「けものの子」のように扱われ、暗い蔵に閉じ込められていたが、れんは強烈な光を放っていた。彼女に眠っている才能を開花させるため、二人の長い戦いが始まった。著者渾身の感動作。”
とある。

 

感想。
泣いた・・・。ヘレンケラーがサリヴァン先生の渾身の教育を受けて、見えない、聞こえない、話せない、という三重苦を乗り越えたという話は、お話としてはよく知っている。でも、それをもとに、こうしたフィクションを作り出すところが、原田さん。面白かった。感動作。


体をはって、れんを人間として自立させようという、安の一生懸命さ、それを応援する周りと、れんの可能性を信じない反対勢力。そして、全体の構成が二重になっているという、原田さんの得意技。昭和の場面から始まり、回想するかのように明治の話に飛び、最後、昭和にもどってくる。最初は、昭和の官僚が登場し、無形重要文化財の候補となっている三味線奏者に会いに行く話から始まるので、ヘレンケラーの話とはまったく違う話と思いきや、その人物の過去の話として、明治に時代がジャンプする。そして、最後は再び昭和へ・・・・。

 

421ページ。厚めの単行本だけど、読み始めたら止まらない。あっという間に読んでしまった。電車の中で、なんどティッシュで鼻をかんだことか・・・。

 

以下、ネタバレあり。

話の骨子は、三重苦のれんが、安の教育によって言葉を獲得する話なので、ネタバレも何も、、、皆さんご存じの話。それが、三味線奏者のキワという盲目の老婆の過去の思い出とつながる。


安は、岩倉使節団として、9歳にしてアメリカにわたり、22歳までの13年間をアメリカでくらした両家の子女としてでてくる、岩倉使節団という史実に、安を登場させ、帰国後には伊藤博文から「れんの教育係」としての依頼をうける、とうい話のつくりが、原田さんらしい。『風神雷神 Juppiter(ユピテル), Aeolus(アイオロス)』の天正遣欧少年使節俵屋宗達を行かせちゃったのと、似ている。そういう歴史もあったかも、と思わせるところが、面白い。

megureca.hatenablog.com

 

お話の中では、安も、弱視というハンディをもった人。そんなハンディをもった9歳の娘をアメリカにいかせた安の両親の想いも時代背景を説明する重要な存在。ハンディがあるからこそ、自立した人間となれるようにとの思いがあって、岩倉使節団に応募させた父だったが、22歳で帰国したときには、アメリカで学んできたことを活かすのではなく、嫁に行くことを薦める。伊藤博文の紹介で縁談はすすむが、安は、父に内緒で伊藤博文に直接手紙をかく。自分がアメリカで学んだすべてを日本の女性に伝えたい、弱みは強みにすることができるという身を持って経験したことを活かし、日本の女子教育の普及と発展のために役立ちたい、といったことを書いた。
伊藤博文からの返事はなかったが、「当方の都合で、今回の縁談はなかったことに」という申し入れが伊藤からあった。安の気持ちを受け取ってくれたのだ。
そして、安は、貴族の婦女子に英語やピアノを教える日々を過ごすことになった。

 

そんなある日、伊藤博文から安の元に英語で書かれた手紙が届く。青森県弘前にいる友人・介良貞彦男爵が娘のことで悩んでいる。娘・れんの教育係として弘前にいってもらえないか、と。

ただし、
”介良家のご長女、れん嬢は、現在6歳。普通の人とだいぶ違うのです。違う要素は3つあります。
一つ、れん嬢は、盲目です。まったく、見えません。
二つ、耳が聞こえません。
三つ、口が利けません。”
と。

安は、れんの教育係として、弘前に赴く。

 

れんは、1歳の時の高熱が原因で、3重苦を背負うようになった。父の貞彦、兄の辰彦は、そんなれんを家のやっかいものとしか見ておらず、れんは家の蔵に3歳からずっと閉じ込められて過ごしていた。母のよしは、辰彦と年の離れた娘が生まれたことで、大いに可愛がり、高熱の病い倒れた際にも、なんとか命だけは、、、と懸命に介護した。しかし、貞彦と辰彦は、あのときれんが死んでいればこんな苦しみはなかったのに、、、という思いをもっていた。辰彦は、奇声をはっしたり、暴れたりするれんのせいで縁談がまとまらず、れんがいなければ、、、と思っているのだった。

そんなれんのもとに、安がいく。介良家としては、れんがおとなしくなってくれればよく、自立した人間になるなどとは、まったく思っていなかった。
そして、そこから、れんと安の闘いが始まる。。。

 

食事は、手づかみではなく箸ですること。排泄はトイレという場所があること。湯浴みは気持ちのいいものであること。はい、いいえ、すら知らなかったれんが、安が首をたてにふる「はい」と横に振る「いいえ」を覚えていく。ときには、暴れるれんとの取っ組み合い。まさに、満身創痍になりながらも、れんの可能性を信じて、全てをれんの教育にかける安。

おとなしくしていた方が、ご飯もちゃんともらえるし、自分にとってもいいことだということを学んだれんは、徐々に安の思惑通り、規則正しい生活を覚えていく。清潔に保つということを覚えたれんは、けもののような姿から、可愛らしい女の子へと変化しつつあった。
しかし、どんなにれんがおとなしくなっても、やはり三重苦の娘がいる家に嫁ぐのは、、ということで辰彦の縁談はうまくいかない。そして、れんの命さえ狙おうとする毒入りご飯事件が起こる。未遂に終わったものの、安とれんのお世話係をしていた女中ハルが疑われ、里に返されてしまう。ハルは、二人に献身的に仕えてくれていたのだが、辰彦派の女中の罠にはまった形だった。

もう、れんがおとなしくなったことで十分だとおもった貞彦は、安の任務は終わったとして東京に帰ってくれという。泣く泣く承知した安だったが、安が屋敷を去ろうとしたとき、何かを感じとったれんは、安に抱きついてくる。
やはり、私はれんを人間として自立させるまでは東京に帰れない。安は貞彦にもう少しれんの教育をやらせてくれと懇願する。

 

そして、二人は、介良家の別邸である金木の屋敷にうつり、れんは父と母とも離れた生活を始める。そこで出会ったのが、盲目の旅芸人衆のひとり、三味線弾きのキワだった。れんより2つ年上、10歳のキワは、盲目であるために家から出され、旅芸人をしていた。音が聞こえないはずのれんだったけれど、キワの弾く三味線に興味をもった。二人は交流するようになる。盲目の旅芸人は、人々の家の前で三味線を弾いたりして、物乞いをするのだった。そんな物乞いであるから、本来であれば屋敷に入れるわけにはいかない。でも、本邸にばれないように、別邸の老女中ひさとも協力し、安はキワを屋敷に入れる。そして、はじめて友達というものを知ったれんだった。キワは盲目だが耳は聞こえる。そんなキワを安は屋敷に住まわせ、れんとともに手文字を教えた。れんとキワは、一緒に遊びながら、手文字を覚えていった。

 

ところが、ある日突然、金木の屋敷に貞彦がやってくる。ひさは、あわててキワを屋敷から逃がし、れんと貞彦を面会させる。キワには、もしかすると夜になるかもしれないけれど、迎えに行くからちょっとの間、別の小屋にかくれていて、とつたえた安だった。一度出ていったキワだったが、三味線のお稽古してまっている、といって三味線を取りにもどり、またすぐに逃げるようにでていった。

れんが、すっかりお行儀よくすわることができるようになり、また、ものの名前を覚えつつあることに感動した貞彦は、もう、れんを連れて帰る、と言い出す。そして、翌日には、れんと安は介良家に戻ることになる。

安は、キワに事情をはなそうとおもって、キワが隠れている筈の場所に行くのだが、見当たらない。お寺の住職にきくと、「私はもう二度とこの土地には来ないと思います。お世話になりました」と挨拶して去っていったという。。。キワは、本当は屋敷に上がってはいけないことをわかっていたのだ・・・。三味線をとりにもどったのは、隠れている間にお稽古するためでなはく、、永遠の別れとさとったからだったのだ、、、。


そして、介良家にもどったれんは、母と父の甘やかしで、再び野性児に戻ってしまう。箸で食べることを忘れ、手づかみで食事をしようとする。それは安が懸念していた通りだった。せっかく進化したれんは、甘やかせば退化してしまう。。。それを、なにがなんでも止めたい安は、「今日くらいは甘やかしたい」という貞彦やよしの言葉を遮り、体当たりでれんにぶつかる。それは、周囲が声を出せないほどの体当たりだった。そして、その時、れんが1歳で言葉を失う前にたった一つ口にできていたことば「水」を取り戻す。流れる水が、「水」だということ、物には名前があるということ、れんが言葉というものの本当の意味を理解した奇跡の瞬間がやってくる。。。

そして、舞台は、また昭和へ・・・。

 

老女の三味線弾きキワは、金木の介良別邸で、れんとともに手文字を覚えた、物乞いの旅芸人、キワだった。

キワは、東京からやってきた官僚に、「もう三味線はひかん」といっていたのだが、「介良れん」が聞きに来るときいて、三味線を弾くことを承知するのだった。

最後は、れんがキワの三味線を日比谷公会堂で、重要無形文化財としての演奏の場面に立ち会ってる。

 

”ふたりは、静かに、響き合っていた。
三味線の音が流れ始めた。どこまでも滑らかな、はるかな旋律だった。”

THE END。 

 

面白い構成でつくるなぁ、と、感動。

 

安が、れんと両親のやり取りを見守りつつ、自分の両親に思いをはせるところも、なかなか渋い。安が最初にれんのもとへ行ったのは、25歳の時。9歳から22歳までをアメリカで過ごした安は、ほとんど両親とともに過ごしていないともいえる。れんを想う母よしの姿を目にし、自分の母はどういう気持ちで自分をアメリカに、そしてここ弘前へ送り出してくれたのだろう、、と思いをはせるのだ。安がれんにおこした奇蹟は、安が生きたいように生きることを拒まなかった安の母の影の支えがあったからなのだ、という振り返りのシーンがある。深いなぁ。

 

わかり切ったお話のようでいて、そこに込められた数々の愛の形が、深い。

まさに、感動作といっていい。

 

岩倉使節団、実際に留学参加した最年少女子といえば、津田梅子。津田塾大学の創設者。アメリカに行って教育者となった女性の姿を、サリヴァン先生と重ねちゃうなんて。面白い。

 

やっぱり、原田マハさん、好きだなぁ。

読書は楽しい。