『スコットランド  目で見る世界の国々46』 by メアリー・M・ロジャース

スコットランド
目で見る世界の国々 46
メアリー・M・ロジャース
三村美智子 訳
国土社
1997年3月10日 初版印刷
1997年3月15日 初版発行
Visual Geography Series SCOTLAND (1995) 


図書館のティーンズ向けのコーナーにあった世界の国々を紹介する本のシリーズ。見るからに、表紙の写真がアナログだし、中に挿入されている写真たちも、アナログでなんとも雰囲気ある。内容的にはほぼ30年前なわけで、、、2024年の今とは社会的、経済的環境は大きくことなっているだろうけれど、スコットランドの歴史は面白そうなので借りてみた。

 

数年前、英語の教材で、スコットランドの歴史がネタになっているものをリスニングでやったとき、ケルト人?バイキング?え、やっぱりローマ人??と、まったく理解できなかったのだ。今でもがあるとか、アングロとサクソンで、アングロサクソンになったとか、和訳したものの、本来の内容が理解できていなかった。先日、スコットランドの人が、「スコットランドでは一般の大学に行くのには、無料だ」といっていたので、驚いた。もちろん、いわゆるprivilegeな大学は有料だけれど、地方公立大学?のようなところは無料だといっていた、そんなスコットランド、、、まぁ、国としてはブリティッシュだけれど、どんな国なのか、お勉強。

 

もくじ
はじめに
1 国土
2 歴史と政治
3 人びとのくらしと文化
4 経済

 

スコットランドは、イギリスの最北部にある地域。イギリスの正式名称は、グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国1707年スコットランドは、イングランドウェールズ連合王国の一員となったが、もともと、独自の歴史と文化をもつ独立国。今でも、独立を願う人も少なくない。最近だと、2014年に独立の是非を問う住民投票が実施され、賛成44.7%、反対55.3%で独立反対派が勝利した。

 

そんな、スコットランドは、紀元前5000年頃、ヨーロッパ大陸から人々が狩りをしにやってくる。1000年後には、農耕をする人々がやってくる。


紀元前800年頃、ケルトが定住しはじめた。ケルト人のスコット族が始まり。

 

1603年、スコットランドイングランドは、1人の王を持った。スコットランド女王の息子ジェイムズ6世が、イングランド女王エリザベス1世の死後ジェイムズ1世としてイングランドの国王もつとめることになったのだ。そして、スコットランドは、グラスゴー造船と産業の中心となって、イギリス第二の都市といわれるまでに発展した。

 

1930年代の世界大恐慌では、大きな経済的打撃をうけ、失業者が増え、多くの人が海外に流出した。

 

1960年代、北海に油田が発掘され、一時不況から抜け出すが、石油の恩恵は80年代頃まで。本書に書かれている経済人する基本情報はここまで。私にとって現在のグラスコーといえば、経済というより文化の中心というイメージがある。ロンドンより、世間に毒されていない、、、って勝手にイメージしている。

 

教育、保健、福祉は、1400年代からよく発達していて、政府が創設した男女共学の学校が、スコットランドの教育水準を高めている。また、国家医療制度が充実していて、人々は、ごくわずかな料金で医療をうけられるのだそうだ。20世紀の乳幼児死亡率は、世界で最も低い数字だったとのこと。

 

国土は、いうまでもなくイギリスの北部。北緯50-60度のイギリスの北部なのだから、日本に比べるとずーーっと緯度が高い。さむそ~~~と思う。でも、カリブ海からの暖流が沿岸を流れているので、一年を通して北海道よりもずっと穏やかな気候

国土の15%は森。同じ島国でも、日本だと2/3が森なので、15%というと多いようで、そうでもない。広大な湿地も多いのがスコットランド。激しい川の流れは、水力発電に活用されている。

 

スコットランドの首都はエディンバラグラスゴー造船業で栄えたのに比較すると、文化と教育の中心として発展。ウイスキー醸造所も多くある。そうだそうだ、スコッチウィスキーだ!!

 

色々な情報が掲載されているが、やはり、歴史が一番興味深い。

 

1世紀ころは、猟をしにきたケルトの時代。ヨーロッパからきたケルト人は、鉄でできた武器を使う勇敢な民族で、たちまち国内を制覇して大家族をつくった。

 

その後、ローマ帝国イングランドウェールズに侵入。その侵入はユリウス・アグリコラの時代に、スコットランドまで伸びてきた。84年頃、アグリコラ軍はカレドニア(北部のケルト人)に勝利。しかし、この敗北から学んだカレドニア人は、戦いを工夫しながらローマ軍を南部の方まで押し戻す。それ以上南部に引き下がるわけにいかないローマ皇帝ハドリアヌスは、ハドリアヌスの壁」をつくって、カレドニア人の攻撃を防いだ。さらには、「アントニヌスの壁」をも建てた。

 

その後ローマ国内の内紛によって、ローマの弱体化が始まり、5世紀はじめにローマ軍はブリタニアから撤退した。

 

ローマの次は、北ヨーロッパゲルマン民族アングロ人サクソン人が、スコットランドの南部を攻撃。そのころに、キリスト教が入ってくる。

その後、数百年ものあいだ、ピクト(カレドニア人)、スコット、ブリトン、アングルの4つの民族が支配権を巡って争いを続けた。

 

8世紀末、ノルウェーからヴァイキングの侵略が始まる。南部はアングロ・サクソンの力が強くなり、イングランドという王国となる。1034年に、北部はスコッティアという王国として統一された。

 

1066年、ノルマンディーからやってきたノルマン人イングランドを占領。スコットランドに、イングランド支配下に収まるようにせまった。1124年、スコットランド王になったデイヴィッド1世は、イングランドとの友好路線を選ぶ。しかし、1200年代になると、力をつけた領主と裕福な商人が王の助言者として力を持ち始め、アレクサンダー3世が亡くなった後、王位争いによる内争が激しくなる。かつ、イングランドスコットランドの対立。外でも内でも戦争、、という時代を過ごす。1371年、その後300年以上にわたってスコットランドを支配することになるスチュアート家の、ロバート・スチュアートが王位につく。しかし、スチュアート家の支配者たちの多くは、暗殺されるなど、悲惨な死に方をしている。

 

ロバートの孫ジェイムズ3世、その息子のジェイムズ4世は、イングランドとの関係をよくしようとして、イングランド王ヘンリー7世の娘マーガレットと結婚。王が死ぬと、マーガレットは幼い息子ジェイムズ5世を王位につかせる。ジェイムズ5世が亡くなると、生後1週間のメアリーが王位をついだ。

そして、ヨーロッパ各地での宗教改革の波が高まる。メアリーは、宗教争いに巻き込まれるのを避けるために、母親によってフランスにおくられ、のちにフランス王フランソワ2世と結婚。スコットランドとフランスの女王となる。しかし、スコットランドで高まるプロテスタントの波にのまれ、メアリーは不幸な最後を遂げる。エリザベス女王によって、絞首刑とされてしまったのだった。

 

その後も、宗教間の争い、士族たちの争いがつづき、スコットランドの国内は不安定な環境が続く。と、持ち上がるのがスコットランドイングランドとの正式な統一問題「グレンコ―の大虐殺」、二回に渡る「ジャコバイトの反乱」をへて、政府は新しいやり方でハイランド(スコットランド北部)に干渉するようになる。そして、そのことからさまざまな変化がおこり、産業革命につながっていく。

なるほど。。。スコットランドイングランドとの関係性は、ここ数十年のことではなく、、、長い長い歴史によるものだったのだ、、、ということがわかった。

 

色々な情報が簡潔に、まとめられていて、わかりやすい。21世紀バージョンで、改版をだしてくれたらいいのにな、、と思う。

 

しかし、日本では考えられないくらい多くの民族から侵攻をうけてきたスコットランド。こんなに北緯が高くて、土地も貧しそうなのに、実は自然の恵みが豊かということ。そうでなければ、人々はその土地を狙って侵攻してきたりしない。

 

グラスゴー、いつか行ってみたくなってきた。

 

しかし、「せかいの国々」というシリーズに、どうどうとスコットランドをいれてしまうところが、なかなか渋い。2014年以降なら、政治問題になったのでは?という気がする。

 

古き良き時代、、、ゆるい時代もよかったなぁ・・・・。