『哀れなるものたち』  by アラスター・グレイ 

哀れなるものたち 
アラスター・グレイ 
高橋和久
早川書房
2008年1月20日 初版印刷
2008年1月25日 初版発行
Poor Things(1992)

 

『ラナーク』の著者、アラスター・グレイ の作品であり、映画『哀れなるものたち』の原作。

megureca.hatenablog.com

 

映画は、アカデミー賞11部門受賞という、すごいことに。映画を観た後、『ラナーク』を紹介してくれた人と話をしていたら、Poor Thingsの原作ではスコットランドが大きな舞台なのに、その部分がまったく感じられないのが残念だ、と、スコットランドに住む彼の母がいっていた、とのことだった。

 

で、原作を読んでみようと思った。kindleでEnglishバージョンを読みはじめたのだけれど、どうも、映画とはだいぶ違う展開。。私の英語力の問題かとおもって、日本語版を図書館で借りて読んでみた。さすがに、映画になった後だったので予約がいっぱいで、数か月まった。

 

読んでみたら、よくわかった。
映画は、、、原作のある部分を切り取っただけなのだ。。。

 

原作は、『ラナーク』と同様に、いくつかの場面の組み合わせで一つのお話となっている。
読み始めてすぐに、映画では描かれていないところからお話が始まるということがわかった。

 

映画になっていたのは、ベラ(エマストーンが演じて、主演女優賞をとった主人公)が、天才外科医ゴドウィンによって、死から蘇り、成長していく過程の部分。これは、本の中では、ゴドウィンの友人であるマッキャンドレスが、手記として書き残した記録なのだ。そして、本では、マッキャンドレスの記録は、でたらめだといってベラが否定する書簡が続く。

 

なるほど、、、だれが本当の話をしているのかは、、、わからない。と、それを著者のアラスター・グレイも指摘しつつ、ストーリーの一部になっている。

 

以下、ネタバレあり。


ベラは、妊婦のときに自殺し、ゴドウィンによって自分の胎児の脳を移植され、蘇るのだ。映画の中でも、本のなかでも、その設定は同じ。そして、ゴドウィンにその事実を聞かされたマッキャンドレスは、ゴドウィンを賞賛する。また、ベラに気に入られて二人は婚約する。知能がまだ子どものままで、成熟した女性の肉体のベラ。その、ベラは、マッキャンドレスと婚約したにもかかわらず、別の男、ダンカンと二人で世界を旅して様々な成長を遂げるのだ。ダンカンは、ゴドウィンが遺言書を書くためにやとった弁護士だったけれど、ベラに言い寄る。そして、ベラの成長のために、、とベラとダンカンが旅に出ることをゴドウィンは認めてしまうのだ。

 

本では、

・序文 アラスター・グレイ
スコットランドの一公衆衛生官の若き日を彩るいくつかの挿話
   医学博士 アーチボールド・マッキャンドレス
・上記著作についての孫、または曾孫宛書簡
   医学博士 ”ヴィクトリア”・マッキャンドレス
・批評的歴史的な註 アラスター・グレー

 

と、4部構成になっている。映画になっているのは、「スコットランドの一公衆衛生官の若き日を彩るいくつかの挿話」だったのだ。でもって、映画の中ではベラの元夫は、医者になったベラに手術されて羊と人間の合体になって「めぇぇぇ」と鳴いている姿で最後をむかえるけれど、本では、ベラとマッキャンドレスの結婚式に乱入してきたあとに、自殺する。

医学博士 ”ヴィクトリア”・マッキャンドレス(ベラ)の書簡”では、夫、アーチボールド・マッキャンドレスの書き残した著作は、でっち上げであるとしている。

最後の註もまた、アラスター・グレイが、自作につっこみをいれているようで、面白い構成。

 

スコットランドが舞台というのがよくわかる。グラスゴーがメイン舞台なのだ。たしかに、ベラがダンカンと旅したのは、オデッサからアレキサンドリア、パリ、、と、スコットランド以外の世界。そして、ダンカンがカジノで身を滅ぼしていくのも、映画と本は同じ。ベラが売春婦として社会を知るのも同じ。でも、全然違う~~~~!!といいたくなる、、本の面白さ。

やっぱり、アラスター・グレイ、すごい。面白い。

 

映画の中でも、ゴドウィンが外科手術をほどこした、身体の半分が真っ白と真っ黒の二羽のうさぎがでてくるのだが、本でもでてくる。そして、この二羽は、モプシーとフロプシーという名前なのだ。聞いたことあるでしょ!そう、ピーターラビットの兄弟だよ!!!

 

megureca.hatenablog.com

もちろん、本の中ではそんな説明はない。だから、こういう隠されたメッセージを見つけるのが楽しいのだ。映画の中で、うさぎたちに名前があったのかは、覚えていない。。。

 

また、「スコットランドの一公衆衛生官の若き日を彩るいくつかの挿話」の多くの部分は、ベラがダンカンとの旅先からおくってくる手紙によって構成される。文字をうまく書けなかったベラ、文章、名詞、ことばの使い方を間違えるベラが、だんだん、大人の文章を書くようになっていく。そうか、よくわからない英語だったのは、、、ベラの間違った英語だったんだ、、、。それは、さすがに、その面白さは私には英語版では理解できなかった。

 

あと、ベラと世界を旅するダンカンは、映画のなかでは中年のおじさんとして描かれていたけれど、ダンカンからの手紙では ”かよわくて可愛い母、46歳になる孤独な未亡人” とでてきたので、どうやら若者の設定だったらしい。

 

他にも、映画の中での象徴的できごとが、本をよむとその意味づけがよりよくわかる。ベラはダンカンと旅している間、ダンカンからではなく旅先で出会う人々によって、さまざまな知恵を身に着けていく。一つ一つのできごとへのベラの反応がまっすぐで面白い。

キリストにまつわること、教育にまつわること、貧困にまつわること、性にまつわること、、。

アレクサンドリアで貧困にあえぐ子供たちを目にしたこと、パリの売春宿で健康をそこなう怖れに直面している女性たちと同じ時間をすごしたこと、そういったことから、ベラは、女性や子どもを救うための医者になる、と決心してスコットランドに戻ってくるのだ。

 

ベラの気づきの中で、人間の種類として、
人生というものが、本質的に、死によってしか治療できない苦しい病であることを知っている人たち。”というセリフがでてくる。

深い・・・。

 

ベラが弾丸のように話しまくることについては、
句読点のないあの見事な話し方”と。
in your splendidly unpunctuated fashion,
って。
うまい、表現するなぁ。。。話し方に、句読点がないって。

 

やっぱり、本を読んでみてよかった。

映画だと、こういう表現がじっくり味わえない。

 

しかも、最後のベラの書簡がないと、まったくこの本の魅力が違ってしまう。ベラは、マッキャンドレスのことは、最初の夫と同じくらい嫌な奴、、、という言い方をしている。自分が胎児の脳を移植されて甦らされた人間だなんてとんでもない、、、と。

 

そうそう、本の中で、マッキャンドレスは晩年に多発性硬化症と自分自身を診断した、とでてくる。そうか、スコットランド人にとっては、多発性硬化症って、ポピュラーなんだ。高緯度の国の人の方が罹患率高いっていっていたけれど、こんな風にさりげなく物語にでてくるほどなんだ、、、って。これも、発見。

megureca.hatenablog.com

ちなみ、本書の中では多発性硬化症は、multiple secloresis ではなく、disseminated secloresisとなっていた。

 

発掘された過去の文章、書簡からストーリーが展開され、そのなかにまた手紙のやり取りがあり、それを現実と仮想世界の入り混じった著者の注釈が説明し、、、。さまざまな小説からの引用、セリフの引用、、、どれも、本ならではの愉しみ方が満載。

 

やっぱり、本はいいなぁ。。。

しかも、ちょこっとずつ見え隠れする、他の作品からの引用に気づけると、宝物を探し当てたみたいで嬉しくなる。まだまだ、知らないことがいっぱい。

 

やっぱり、読書は楽しい。

そして、世界は知らないことであふれている。