銀河鉄道の夜
宮沢賢治
角川文庫 100分間で読める 楽しむ名作小説
令和6年3月25日 初版発行
先日読んだ、『高校生のための人物に学ぶ日本の思想史』の”第3章 「 本当に辛い」を問うこと ー 宮沢賢治に学ぶ”に感化され、宮沢賢治を読もうと思った。
図書館で、ふと、本書が目に入った。角川文庫 100分間で読める 楽しむ名作小説シリーズ、先日、江戸川乱歩の『人間椅子』を読んで、これはいい、と思ったので、迷わず、借りて読んでみた。
著者の宮沢賢治は、 1896年、 岩手県花巻 生まれ。 盛岡高等農林学校卒。農学校で教鞭を執るかたわら、意欲旺盛な創作活動をする。 30歳の時に農学校を退職。 独居生活に入る。羅須地人協会を設立、農民講座を開く。 青年たちに農業を指導したが、肺を患って病臥した。1933年、肺病により死去。生前に詩集『春と修羅』、童話集『 注文の多い料理店』を刊行。遺稿として発見された傑作が、 死後多数発表された。
*羅須地人協会:1926年、農学校を退職した賢治が農民たちを集めて農業技術や農業芸術論などを講義するために設立。1928年に病気になるまで、賢治はこの建物で自炊生活をしていました。1969年、現在地(県立花巻農業高等学校地内)に移築復元されました。
本の裏の紹介には、
” 病気がちな母と暮らすジョバンニは、学校帰りに活版所で働いて家計を助けている。意地悪な級友から父の不在をからかわれ、 辛い思いをする彼の気持ちを、親友カムパネルラ だけは分かってくれていた。祭りの夜、あらゆる 星が輝く夜空の向こう側へと、二人は 銀河鉄道に乗って旅に出るーーーーー。すべててがキラキラと輝くかけがえのない物語。”とある。
感想。
え、、、こんなに悲しいお話だっけ?キラキラと輝くかけがえのない物語?!どこが??悲しすぎるだろう・・・・・。
と、本書には、銀河鉄道と、よだかの星の二つの物語がおさめられている。よだかの星は、14ページの短編。主に、銀河鉄道の夜。後ろに、まとめて注釈が付いている。
銀河鉄道の夜は、「午后の授業」という項から始まる。ジョバンニとカムパネルラが学校で、銀河についての授業を受けている。
だいたい、なんで、ジョバンニとカンパネルラなんだ?!どう考えても、お話は東北の田舎のお話の雰囲気で、坊主頭で着物だか作務衣だか、浴衣を着ていそうな雰囲気。注釈には、カムパネルラはイタリア語圏の人名。一説によればユートピア小説『太陽の都』を著した17世紀のイタリアの社会思想家、トマソ・カンパネルラを意識した命名、、とあった。
そして、 ジョバンニは、イタリアのありふれた男の子の名前。
この、 カムパネルラと ジョバンニのお話なのだが、授業で出てくる 天の川 も「乳の流れた後」とでてくる。The Milky Way。
と、なんとなく設定が微妙で、すでにそれだけで異次元の物語な感じがする。
そして、ありふれた男の子の名前であるジョバンニが、主人公。 授業中に先生にさされても、 ハキハキと答えることができない ジョバンニ。そして本当は答えを知っているのに、 ジョバンニを気遣って、もじもじと答えない カムパネルラ。
二人は、昔からの幼なじみ。そして、クラスの他の子たちからは、ジョバンニはからかわれたりする。貧乏だから?活版所で仕事をしているから?お父さんが不在で、ジョバンニが働いていることをからかわれている。いわゆる、貧乏な子をからかういじめ、昭和の代表的いじめ?!な感じ。
そして、学校の後、子どもたちからのからかいを振り切って、仕事場へより、仕事をしてからお家に帰るジョバンニ。お母さんは、病気で調子がよくない。
「 お母さん 今帰ったよ 具合悪くなかったの?」
「今日は涼しくてね。わたしはずっと具合がいいよ。」と答えるお母さん。
ジョバンニは、お母さんのために砂糖を買ってきていた。牛乳に入れてあげようと思ったのだ。でも、お母さんの牛乳が、今日はまだ届いていなかった。そこで、ジョバンニは、牛乳を受け取りにいってくる、といって出かける。
既に暗くなった外を歩いて、牛乳を受け取りに行くジョバンニ。途中で、いじめっこのクラスメート、ザネリにまた意地悪な言葉をなげられる。でも、牛乳屋をめざすジョバンニ。
途中、星座の図をかざっているお店に気をとられ、銀河のことを思ったりしながらも、牛乳屋へむかって、歩いていく。牛乳屋で、届かなかったので貰いに来たのだと告げると、今わかる人がいないから明日にしてくれと言われてしまう。
「おっかさんが病気なんですから今晩でないと困るんです」というと
「ではもう少したってからきてください」と言われる。
少し時間をつぶしてから牛乳屋に行くことにして、町を歩いていると、クラスメイトたちが何人かで歩いている。ザネリもいた。ちょっと、逃げたくなったジョバンニだったけれど、カムパネルラもいたので、逃げずに、勢いよくそっちに走った。きっと、みんなで川に明かりを流しに行くのだ。
「川に行くの?」と言おうと思ったとき、また、ザネリが「ラッコの上着が来るよ」といって、ジョバンニをからかう。ずっと留守にしているお父さんが帰ってくる時には、きっとラッコの上着を持ってきてくれると、ジョバンニは思っているのだ。
意地悪なザネリ。でも、カムパネルラは何もいわない。ジョバンニをかばってくれるわけでもなく、何も言わずに、クラスメートたちと同じ方向へ歩いていく。
” ジョバンニは何とも言えず寂しくなっていきなり走り出しました”
と、、、、こういうお話なのだ。。。。
胸が痛い。。。
そして、ジョバンニは、つめたい草の上に体を投げ出す。野原を見渡す。
そこから、汽車の音が聞こえてきて、「銀河ステーション、銀河ステーション」という声が聞こえて、目の前がいきなりぱっと明るくなって、、、。気が付いてみると、ごとごとごとごと、ジョバンニを乗せた列車が走っていた。
そう、独りぼっち、寂しく草原に寝転がっていたら、気が付いたら列車の中だったのだ。
そして、きがつくと、列車の中には、カムパネルラがいたのだ。
そこからは、色々な星座駅にいったり、色々な人が乗り込んできたり、降りて行ったり。。。でも、乗ってくる人たちは、実は死者なのだ・・・。タイタニック号で亡くなった人もいた。駅に着くたびに、色々な人が乗ってきたり、降りて行ったり。十字架が見えたり、ちょと宗教っぽくもある。
そして、終着駅が近づくと、どんどん人が降りていって、列車は寂しくなる。もう、二人しかいない。「カムパネルラ、僕たち一緒にいこうね」と、声をかけたけれど、、、あたりをみまわしても、カムパネルラの姿は見えなくなってしまった。
押し寄せる寂しさ。。。
泣き出すジョバンニ。。。。。
そして、あたりがまっくらになったとおもうと、ジョバンニは、目を開く。もとの丘の草の中で疲れて眠っていたのでした。。。
思い出したように、牛乳屋に牛乳を取りに行くジョバンニ。すぐに、すみませんでしたといって、牛乳を渡してくれた。これで、お母さんにお砂糖入りの牛乳を飲ませてあげられる。
家に帰ろうとして大通りに出ると、大人たちが大勢集まってなにやら話している。
「何かあったんですか?」
「子どもが水に落ちたんです」
川へ走るジョバンニ。
さっき、 カムパネルラといっしょだったマルソが、
「ジョバンニ、カムパネルラが川へはいったよ。」と。。。
水に落ちたザネリを救おうと、カムパネルラは水に飛び込み、ザネリは助かった。カムパネルラは、見つかっていない・・・・。
カムパネルラのお父さん(博士)は、「もうダメです、落ちてから45分もたちましたから」といって、息子の死を受け入れる。
そして、博士は、ジョバンニを見つけて、「どうも今晩はありがとう。お父さんはもう帰っていますか?」とたずね、ジョバンニの父がもうすぐ帰ってくるであろうことを教えてくれる。
”ジョバンニはもう色々なことで胸がいっぱいで何にも言えずに 博士の前を離れて 早くお母さんに牛乳を持って行って お父さんの帰ることを知らせようと思うと もう一目散に河原を街の方へ走りました”
おしまい。
なんなんですか、この悲しすぎるお話は!!!
銀河鉄道で出会う人々、さそり座のサソリ、、、その、ジョバンニの夢の中での出来事は、それはそれで、別のもう一つのお話のような感じで意味深い。でも、この、現世での、、、この悲しい出来事は何なんだ???
でも、ジョバンニのお父さんは、帰ってくるのかな?
牛乳のんだら、お母さん、元気になるかな?
でも、、友だち、死んじゃったよ。たった一人の友達が。。。
この、、、言いようのない、、、悲しさ。
こんなに、悲しいお話だと思わなかった。
宮沢賢治は、26歳の時に2歳年下の最愛の妹、トシを亡くしている。大事な人を亡くすという、大きな悲しみが、物語になっているのだろうか。。。前後関係はわからないけれど、「本当に辛いこと」って、、、と考えさせられる。
カムパネルラのお父さんの悲しみも、、、辛い。。。
いやぁ、、、なんとも深い。
これは、、、100分で読めるけど、、、読みだしたら止まらないけど、、、すごいお話だ。
カンパネルラとジョバンニの間の友情って?
ザネリは、この先どう生きる?
う~~ん、あまりにもいろいろ考えることがありすぎて、100分で読めるけれど、100分考えても頭が悶々とする一冊。
100ページちょっとの文庫本だけど、何度も読み返せる充実感。
宮沢賢治、すごいわ。
けど、、、もうちょっと楽しいお話が読みたくなる。。
ちょっと、しんみりしちゃう一冊。
生きる、ということがテーマなのかな。