『95歳・私の証 あるがまま行く』 by  日野原重明

『95歳・私の証 あるがまま行く』

日野原重明

朝日文庫

2010年6月30日 第1刷発行

*本書は、2007年3月に朝日新聞社より刊行された『95才からの勇気ある生き方』の一部を再編集・加筆したものです。

 


図書館の棚で見つけた本。2017年、105歳で亡くなられた日野原先生。ご存じ、聖路加国際病院名誉院長。2005年には、文化勲章を受賞されている。

 

 

エッセイ集のような感じなので、時間つぶしによさそう、とおもって借りてみた。パラパラとめくって、さー-っと読める。表紙にはカッパドキアの岩を背景にラクダに乗っている日野原先生の写真。これは一体何歳の時なんだろう???お元気そう。

 


本の裏に書いてある紹介文には、

万里の長城を歩き、アテネの聖地で不思議な力を感じ、オーストラリアでは植樹祭に参加。国内では平和音楽祭を開催したり、全国各地で小学生に命の大切さを説く授業をしたりと、北へ南へ疲れも知らず駆け回る、いよいよ元気な95歳。その元気の秘訣がいっぱい詰まったエッセイ集、第3弾。”

 


 感想。

うん、元気をもらえます。ありがとうございました!

って感じ。

日野原先生は、1911年、山口県生まれ。明治44年生まれで、終戦を迎えたのが30代なのだから、戦前の思想で育った方だ。

確かに、男女差などについては、古風な考え方だな、と思う点もなくはないけれど、命を大切にするという考え方は、何時の時代にあっても共通で、普遍だ。

時間つぶしではなく、良い本を読んだな、って感じ。

まぁ、日野原先生の本なんだから、素敵な本に決まっている!という先入観でよんだ、、、ということもあるけれど、うん、良いと思う。

全てに、共感するかどうかはともかく、やはり、年上の方の言葉には、耳を傾けるべきなんだな、って気になる。

 


各エッセイは、3から4ページぐらい。話題がどんどんと展開する感じ。テンポがいい。

 


聖路加病院なのだから、そうか、、と思うのだけれど、お父様は、教会の牧師をされていたらしい。プロテスタントのお父様だった、ということだ。先生ご自身が、洗礼をうけられていたのかはわからないけれど、プロテスタントの思想が根本にあったのだな、と思うと合点がいくことがある。

 

 

印象に残ったものから、いくつか覚書。

 


土用の丑の日に食する

先生は、鰻が大好きで、お気に入りのお店にいくために、埼玉まで遠征することもあったと。鰻は、栄養価が高く、少量で高カロリーを得られる。100 g のうなぎから340キロカロリーを摂取できてビタミン類や DHA コラーゲンも豊富、と。

土用の丑の日にうなぎを食べる習慣は由来に諸説あるけれど有名なのは平賀源内が広めたという説。そして万葉集から鰻にまつわる歌を紹介されている。

「石麻呂にわれ物申す夏痩せに良しといふ物を鰻取り食せ」 (大伴家持

意訳すると

「石麻呂さんに申しますよ。夏痩せに良いそうですから、うなぎをとって食べてくださいな」

と。

夏痩せはしていないけど、鰻が食べたくなった。

 


・病院で祝うクリスマス

聖路加病院では、クリスマスイブの午後コンサート、礼拝、聖歌隊の歌、と音楽にあふれたクリスマスなのだそうだ。礼拝に出てこられない患者さんのために、聖歌隊が病室をまわる「キャロリング」も行われる。

今でこそ、12月になれば街中がクリスマス色に染まる日本だけれど、信者以外の人々にクリスマスが普及したのは、明治時代になってからだそうだ。

社会事業家の原胤明が、洗礼を受けてから、その受洗への感謝の気持ちとしてお祝い会を開催したのが始まり、と。彼は、裃を付け、大小の刀をさし、ちょんまげのカツラを被った、殿様風のサンタクロースに扮したのだとか。ちょっと、笑っちゃった。

 


・絵本が育む親子のきずな

子供向けの本に感心が強いという日野原先生が、最近読んだというお薦めの2冊。

『おへんじください』(偕成社

『まるごとたべたい』(偕成社

「くろくん」「とらくん」というネコが主役の絵本だそうだ。

二匹の友情のものがたり。ちょっと、読んでみたくなった。

 


・東京駅の今昔物語

東京駅は1914年12月20日に開業建築学の大御所、辰野金吾博士(1854~1919)が設計。当時は、中央停車場とよばれていて、東海道線の起点の新橋駅と東北の玄関口の上野駅を結びつける駅という意味だったそうだ。

1905年、日露戦争に勝利し、大国ロシアを破ったという自負が芽生えた日本は、国の玄関口とし諸外国に見劣りしない立派な駅にしたいという要望が高まった。そして、できたのがあの赤レンガの建物。今でも美しい。

美しい。そうか、でも、そういう時代の中でつくられたのか。。。。

深いなぁ。。。と思った。

 


地球的視野の復興計画

2005年に書かれたエッセイ。1995年の阪神・淡路大震災から10年の時のエッセイ。2004年の新潟県中越地震スマトラ沖大地震、についても言及されている。

先生は

21世紀は大災害に対して、地球上の国々が一つに集結して備えをなす世紀だということを認識したいものです。”

と。

天災は、備えるもの。

戦争のような人災は、備えるものではなく、抑止するべきもの。

武力ではない抑止力とはなんなのか、、、と、ふと思う。

 


開戦日を風化させるな

先生は、8月15日の終戦記念日だけでなく、1941年12月8日という真珠湾攻撃の日を忘れてはいけない、とおっしゃっている。 

日本は、事前の通告もなく、一方的に真珠湾に停泊中のアメリカ軍艦を攻撃し、撃沈させた。子どもでも分かる、卑怯で、武士道に反した行動。日本がそうした卑怯なことをした日を忘れてはいけない、と。満州事変、南京攻略、捕虜兵の生体実験。。。

日本軍の残虐行為は、一般国民にはまったく知らされていなかった。戦況は良いニュースばかりが流された。。。

不幸な戦争が始まった12月8日を忘れてはいけない、と。

終戦の日原爆の日、、、そもそもその不幸を自ら始めたのは、12月8日。それを忘れてはいけない。

本当に、そう思う。

でも、私は、これまであまり気にしたことがなかった。

12月8日、見つめ直そう、と思った。

 


平和を守る「勇気」とは

先生は、「戦う勇気よりも平和を守る勇気が必要」だと。ほんとに。

このエッセイの中で、ご自身の「よど号事件」の経験が語られている。なんと、先生は、あの日本赤軍による「よど号ハイジャック事件」の飛行機に乗っていたのだそうだ。富士山上で、「この飛行機をハイジャックする。北朝鮮へ向かう」と犯人の若者たちに宣言されたときはショックだった、と。

犯人の一人が、金日成の伝記、伊藤静雄の詩集などの読み物があることを告げ、読みたい人を募った。最後にカラマーゾフの兄弟の書名が告げられた時、先生は縛られた手を挙げた。文庫本が膝におかれた。先生は、「これがあれば何日拘束されてもやることがある」とおもい、早速読み始めたのだそうだ。。。

すごい、心臓だ。。。。そして、こうした危機的状況においても、度胸や勇気を失わずにいたのは、ウィリアム・オスラー博士の『平静の心』(医学書院)の本のおかげだった、と。

勇気とは、平静の心、ということなのかもしれない。

 


本当に、さまざま話題が取り上げられていて、最後まで飽きずにあっという間に読める一冊。

 


やっぱり、随筆とかエッセイとか、好きだなぁ、と思った。  

 

先生の言葉は、一つ一つにその重みを感じる。

それでいて、ユーモアも交え、ほんとうに飽きずに読める一冊。

 

読書は、楽しい。

 

 

『太陽のない街』 by 徳永直

太陽のない街
徳永直
岩波文庫
1950年8月5日 第1刷発行
2018年7月18日 改版第1刷発行 
*作品は、1928年~1929年にかけて書かれた。

 

プロレタリア文学代表作の一つ。小林多喜二蟹工船と同じ頃に書かれた作品。
先日、日本近代史の勉強をしていた時に、本書が言及されていて、読んだことが無いと思ったので、図書館で借りてみた。

 

感想。
正直、辛い・・・。読んでいて辛くなる。
小林多喜二の『蟹工船もそうだけれど、本当にこういう時代があったのかと思うと、辛くなってくる。人の愚かさに、悲しくなってくる。この延長に、日本赤軍事件、あさま山荘事件があるのだとおもうと、ほんとに、どんより暗くなる・・・。
読むに堪えなくなって、途中からはざ~~~っとななめ読み。

 

岩波文庫の表紙に書かれた紹介文には、
”ここは東京随一の貧民窟。印刷工場の労働者がひしめき暮らす。ある日工場が行った首切りは大争議に発展。「太陽のない街」の住民たちも苛烈な戦いの渦に巻き込まれていく。実際の争議の中心にいた作者が、労働者の言葉を持って読ませることを第一条件として描く、プロレタリア文学の代表的作品。改版”

 

徳永直は、1899~1958年。彼自身が体験した労働争議を題材にした小説。争議の最中に起こる様々な悲劇は、より悲劇的な事件として描かれ、争議の最後は、まだ戦い続けるのだという労働者たちの意思表明のような終わり方。実際には、闘争終結を語る執行部の説明に労働者たちは涙しながら納得する、、という悲劇的な最後だったらしい。
双方、なにも得るものなく、失うだけの闘争、、、、。
それが、労働闘争だった、、、のだろうか。

プロレタリア文学と言われても、令和の今の時代にあってはなんだか想像がつかない世界。

ただ、最初のシーンが、柳美里の『JR上野駅公園口』を思い出させた。

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物語の最初、摂政宮(昭和天皇東京高等師範学校の高台から、森の蔭になって見えてはいない「太陽のない街」である貧困街を含む景色を目にされ、
「向こうの山と、こちらの山との間に、谷がある訳だが、、、みたいものじゃ」と口にされる。老校長は「以前は、立派な渓谷で川も綺麗でありましたが、今では工場が立って、3,4万の町民が暮らしております」といって、それ以上の興味を持たれないようにする。

天皇と言うのは、底辺の暮らしは目にすることがない。
そういうのは、平成になっても、令和になっても、かわっていないのだ、きっと。


物語は、まさに、労働争議。労働者側、会社側、そこにからむ政治的思惑、共産主義者の思惑。そして、そういう社会で普通に生きていきたい男と女。
物語の中心になっている二人の姉妹は、それぞれ争議活動の中心となっている男と付き合っている。そこに住む人たちみんなが同じ会社の労働者。そういう社会。会社と家庭もあったもんじゃない。生きるために、働き、働くために争う。

男と女なのだから、愛し合いたい。妊娠もする。でも、まっているのはひたすら悲劇。犯罪に手を染めているのに、自分たちの生活のためだと信じて、他者を犠牲にする。。。

何がそんなに人を狂わせるのだろう・・・。

 

ほんとに、暗く、辛い物語だ。
蟹工船』よりも、女性が物語の中心にいることで、まさに市井の人々の生活に影響を与えた労働争議、という感じが、余計に読んでいた辛くなるところのような気がする。

私が1991年に社会人になったときには、すでに労働組合の活動は、たんなるサークル活動のような感じで、特に、労働条件について会社と敵対して交渉する、という雰囲気はなかった。一応定期昇級の交渉などはしていたけれど、組合員が一致団結して何かする、ということは皆無で、なんか、一部の組合の幹部が頑張ってくれているから、まかせておこう、、と言う雰囲気だった。

本書が書かれたころは、治安維持法ができて、不本意に取り締まられるケースがあった時代。主人公たちも、度々、警察とも衝突している。

誰が悪いのか。
財閥の資本家が、労働者を搾取しようとするのが悪いのか。
だまし合い。
裏切り。

 

なんとも、、、後味の悪い一冊だった。
作者は、最後の労働者たちの抵抗継続にロマンをかけたのだろう、、、と、解説で鎌田彗が書いている。

 

事実とは異なる結末。
けど、私には何のロマンも感じられない。

ひとは、どこまで愚かなのか、、、。
そんなことを、考えさせられる、一冊だった。

蟹工船』に比べると、だいぶ長い作品。それだけに、疲れもひとしお?!?!

 

でも、これが日本で実際に起きていたことの描写なのだろう。

目を背けずに、読まなきゃいけない本の一冊なのかな、と言う気もする。

あまり、救いのない本だけれど、時代を知るという意味で読むべき一冊、という感じ。

 

救いがあるとすれば、このような労働争議は、現代においては、ほぼなくなった、ということかもしれない。

その代わりに、ブラック企業が台頭している?!

 

何時の時代も、どんな会社も、雇用主と被雇用者との間で建設的対話が行われなければ、待っているのは双方にとっての悲劇。

悲劇を繰り返さないためには何をするべきなのか。

資本主義とは、何なのか。

そんなことに思いがめぐる一冊だった。

 

ま、読んでみてよかった。

プロレタリア文学

渋いな。。。

 

 

「Jeep way letter」: Your way と Their way : 白洲次郎

白洲正子さんの著書を読んで、ふと思い出した。

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白洲次郎さん、直筆の「Jeep Way Letter」をみて、すごく感動したことを。

 

この写真の下にあるのは、白洲次郎の直筆の図解だ。

 

「START」から「OBJECT」に至るに、2つのWayが示されている。ひとっ飛びで行こうとしているのが、GHQが示した「Your way」。いくつもの山の谷を縫うようにいくのが、「Their way」、日本政府のやり方。その違いをGHQへ訴えたLetterだ。

 

コロナよりも数年前、2017年の秋、外務省の知人が、外務省外交史料館に案内してくれた。その時、撮った写真。

https://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/annai.html

本館閲覧室 利用案内|外務省


外務省外交史料館は、日本の外交に関する資料が保管されており、誰でも訪れることができる。 私が訪れたのは、グループでの勉強会の一環だったので、係りの方の説明つきで中をみることができた。様々な外交文書調印の現物であったり、伊藤博文の直筆サイン、吉田茂首相の「鳩杖」などが展示されている。
そして、その中にあって、まさにカメラのシャッターを切るように、私の脳裏に焼き付いたもの。。。それが、白洲次郎の「Jeep Way Letter」の現物。彼の手書きの図解だった。

 

「Jeep Way Letter」とは、白洲次郎が、GHQ統治下の日本で憲法憲法草案の段階で、GHQの進め方と日本の進め方は異なるのだ、ということをホイットニー民政局に伝えた手紙。彼は、終戦連絡事務局参与」という役職にあって、GHQと日本政府の間をつないだ。

 

国会図書館のHP掲載の文章を引用すると、

”1946(昭和21)年2月15日、白洲次郎終戦連絡事務局参与は、松本烝治国務大臣の意を受けて、ホイットニー民政局長に宛て、GHQ草案が、松本等に大きな衝撃を与えたことを伝え、遠まわしに、「松本案」の再考を希望する旨の書簡を送った。白洲は、「松本案」とGHQ草案は、目的を同じくし、ただ、その目的に到達する道すじを異にするだけだとして、「松本案」は、日本の国状に即した道すじ(ジープ・ウェイ)であるのに対して、GHQ草案は、一挙にその目的を達しようとするものだとした。

この書簡に対して、ホイットニー局長から、翌16日、返書が寄せられ、同局長は、日本側が、白洲の書簡によってGHQの意向を打診し、「松本案」を固守しようとする態度に出ているとして厳しく反論し、国際世論の動向からも、GHQ草案を採ることの必要性を力説している。”
とある。

「ジープ・ウェイ・レター」往復書簡 | 日本国憲法の誕生

 

思想の違い、言葉の壁もあって、相当な混乱の中で作られた「日本国憲法」だったのだ。でも、目的を達成するためには、必要な争議もある。


ゴールは同じでも、やり方が違う。
やり方が違うだけなのだから、お互いに尊重しよう。
同じゴールにむかっているのだから、いいではないか、、、。

 

結果的に、すんなりと白洲次郎の主張が受け入れられたわけではなかったけれど、必要な交渉だったのだと思う。

 

これは、外交に限らない。

家庭でも、会社でも、どんな組織でも当てはまる。

 

組織と言うのは、基本的には同じ目的を持った人たちの集まりだ
地域社会だって、そこで快適に暮らしたいという人々の集まりだろう。
会社員なら、だれだって会社がきちんと稼げて、社会からも愛される会社であってほしいと思うだろう。

 

人間が社会的動物である以上、組織における目的の共有は、何より大事なんだと思う。

「快適な暮らし」といっても、人によって快適の定義がちがう。でも、本当は、「快適な暮らし」は、手段であって最終目的ではないのではないだろうか?
快適な暮らしで手に入れたいのは、充実していて、幸せな人生、ということなのではないだろうか。

 

目先の目的ではなく、その先にある、時間的にも空間的にもその先にあるものに眼を向ければ、人は、必ず共通の目的があるのではないだろうか・・・

と、そんな風に思ったのだ。

 

その思いは、今も変わらない。

 

短期的目標を掲げるのは大事だ。その方が、がんばれる。
受験だって、就職だって、それは、ステップとして目標をもつのは大事。
そして、目標に達成すれば、達成感という幸せがある。
でも、それだって、ただの人生の通過点でしかない。

 

重要なのは、もっと先にある目標のように思う。

今日、明日だけでなく、もっと先を考える。

そういう、余裕がある人間でありたいと思う。

 

目先のことに振り回されず、長い目で考えよう。

 

地球的視野で、宇宙的規模で。

大きく考えれば、目の前の小さなトラブルなんて、ちょっとした擦り傷でしかない。

 

共通の目的。

長期視点。

それを忘れなければ、きっと組織もうまくいく。

そして、時に必要な争議は、逃げちゃいけない。

将来のために、言葉を以て話し合う。

それが、大事なんじゃないのかな。。。

 

『鶴川日記』 by  白洲正子 

『鶴川日記』
白洲正子 
PHP 文芸文庫
2012年6月1日 第1版第1刷
*本書は、1979年文化出版局より刊行された『鶴川日記』を再編したものです。

 

図書館の棚で見つけた本。白洲正子さんは、白洲次郎さんの妻として有名であると同時に、当時の女性としては、自立したというのか、自己主張をするというのか、時代の先をいく女性像の代表のような方。に造詣が深く、世阿弥を研究されていた。また、親しく交流していた青山二郎小林秀雄の影響を受けて骨董も愛していた。
伯爵家の生まれであり、強く、美しい女の代表、、、って感じだろうか。

白洲正子さんと小林秀雄にまつわる骨董の話は、松原友生の『骨董と葛藤』を読んだ時に、へぇぇ、、、すごい人たちと言うのは、すごい人たちと、すごいもので親交するのだ、、、と思ったもんだ。

megureca.hatenablog.com

 

本書は、1979年が初出ということで、その時点で既に過去の回想記録になっている。1910年、東京生まれなので、登場する人物や、出来事は、当然、戦前から戦争中。鶴川には30年住んでいた。鶴川のことを書いている部分もあるが、住んでた頃の諸々の随筆、と言った感じの一冊。

時代を感じつつ、戦争の厳しさ、鶴川のほのぼのさ、、、なんとも言えない一冊だった。牧歌的な所があるかと思えば、戦争中でもあり、、、、。戦争中であっても、普通に暮らしていた人々もいたのだよな、、、という、なんとも不思議な感覚。戦時中の日常をちょっと垣間見た様なところもあり、戦争中であっても、人はご飯は食べるし、寝るし、遊ぶし、働くんだよね、、、なんて、思った。

 

裏表紙の説明には、
”「農村の生活は、何もかも珍しく、どこから手をつけていいか、はじめのうちは見当もつかなかった」ー。
本書は、名随筆家として今なお多くのファンを持つ著者の知性と感性が光る珠玉の随筆集。往時の町田市鶴川での幸福な日々と人々の交流を描いた「鶴川日記」。山の手育ちの著者が憶い出に残る坂を訪問する「東京の坂道」梅原龍三郎・芹沢銈介そして祖父と過ごした日々を綴る「心に残る人々」を収録する”
と。

 

随筆としては、3つの作品。「鶴川日記」は、戦争を逃れて東京から移住した鶴川での日々のこと。藁ぶきの屋根をふき替える町内行事が、みな普段は他の仕事をしている普通の住民たちの協力作業だったことや、田畑を耕すこと=カルティヴェートCultivateすることがカルチュアCultureなんだと、体をもって感じたこと、などが綴られる。東京では、みんなやらないと非国民と言われるので、いやいややっていたバケツリレーの練習なども、鶴川の田舎だと、なんだかほのぼのしていたと言う話。
だれが、B29の空襲がある中で、タケヤリやバケツリレーの火消しで勝てるなんて信じていたものか、とバッサリと切り捨てている。
 小林秀雄さんとの交流についても、言及されている。彼女にとって、「小林さんの本をいくつか読んでいたが、むつかしくてよくわからず、わからないなりに強く惹かれるものがあった」のだと。そうか、そうだったのか、、、。そして、名文句が音楽のように耳につく文体なのだと。一方で、小林秀雄の『本居宣長』では、きらきらした名文句は影をひそめ、宣長の足取りを尺取り虫のようにたどっている、と。

 

本居宣長』、先日、とある勉強会で課題になっていたのだけれど、この一冊を読むのは難儀なので、本居宣長記念館」の小冊子を紹介いただいた。日本のこころ、日本のことをかんがえるにあたっては、やはり本居宣長を抜きにしては学べないのだ、、、。でも、私にとっては、未だ、難解。課題図書は、永遠に課題図書か、、、。本居宣長を一言で言えば、もののあわれ。。。って、簡単には言い切れない。。。

ま、本書をよんで、やっぱり小林秀雄の『本居宣長』、きちんと読みたいな、と思った。


「東京の坂道」では、さまざま東京の坂を散歩しながら、その歴史、風景、実際の坂としての機能などについて語られている。
「今から500年ほど前、太田道灌武蔵野台地の突端に、江戸城を築いた時、日比谷のあたりまでは入江で、下町呼ばれる区域はおおむね沼地か湿地帯であった」と。地理の勉強にも、歴史の勉強にもなる。太田道灌の名前なんて、近頃の本で目にすることは無い。江戸城は、徳川家が建てたんじゃないんだよね。太田道灌が建てたのだ。室町時代後期の武将。

 

富士見坂、三宅坂、永田町から麹町。番長皿屋敷から靖国神社。。。まるで、ブラタモリならぬ、ブラマサコだ。ブラマサコとしては、坂に名前をつけるなんて、日本人くらいだ、と。古くは古事記にも「黄泉比良坂」がでてくることから、日本では「坂」が身近であり、暮らしと切り離せなかったのであろう、と考察している。「サカ」というのは、「サカイ」から出た言葉で、単に国や県の境界を示すだけでなく、あの世とこの世をへだてる恐ろしい場所であったに違いない、と。結構、面白い。

伝通院や後楽園の様子がなんとも心癒される感じで、ちょっと、散歩に行きたくなった。後楽園って、野球場でもなく遊園地でもなく、お庭。
後楽園のお庭は、天下を憂えた後に楽しむという意味で、「後楽園」と名づけられたらしい。水戸徳川家の初代頼房から、二代光圀の時代にかけて完成されたという。平安の面影をつたえるのびのびとした名園である、と。

「番長皿屋敷」の話から、「皿屋敷物」の怪談の話へ。うらめしやぁ、、、とでてくるお化けは、お化けになってしまった理由が演じられる時代とともに変化している、というのが正子説。
そして、芝居の変遷も、
「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」(鴨長明方丈記』)といっている。面白い。確かにね。

 

赤坂から麻布にかけての坂のはなしでは、乃木大将明治天皇崩御のときに、夫婦そろって殉死した話がでてくる。まぁ、、、それが美談として語られる時代だったのだろう、と。そして、そういったことも、時の流れとともに評価は変わるのだ、、と。

 

「心に残る人々」では、私には馴染みのない方が多かったのだが、熊谷一守さんのお話は、ちょっと頭に思い描くことができた。映画、モリのいる場所を観ていたから。山崎努さんと樹木希林さんが出演された、画家・熊谷一守の日常を描いた映画。自然に対して優しくなれる、そして、自分でも絵が描きたくなる、そんな映画だった。その熊谷一守さんについて。

 

宇野千代さんの『薄墨桜』の小説で有名になった桜の話を教えてくれたのが、荒川豊蔵さんだった、と言う話が出てくる。『薄墨桜』にでてくる桜は、美濃の奥地、継体天皇のお手植えと伝えられ、死に瀕していた樹齢千数百年という桜の木。漢方医が、まわりに若木を何十本も植えて、根継ぎをすることによって命を復活させた、っていう話。小説『薄墨桜』そこに男と女、さまざま人間模様が描かれている、人情物語。以前、読もうと思って図書館で借りたけれど、あまりに古い文体で、ざー--っと読んだけれど、古文を読んでいるみたいだった。


とまぁ、随筆なので、様々な話題が飛び出す。
でも、こうして読んでいると、様々な土地、人、時代、、、時々、現代と繋がったりして、面白い。

なんか、かっこいい人だなぁ、と思う。
シャキシャキとした文体。聡明さ。かっこいい。
ま、だんなの白洲次郎はもっとかっこいいけど!なんて。

 

なかなか、良い一冊だった。
東京も、悪くないね、って感じ。

 

身近なところにも、たくさん良いところはある。

そういうまなざしで、「もののあわれ」を探す心が「日本のこころ」かな。

 

読書は楽しい。

 

 

『適応力』by 羽生善治

適応力
羽生善治
扶桑社文庫
2015年8月10日
初版第一刷発行

 

なんか、面白そうな本ないかなぁ、、、、と、図書館の中を徘徊し、目に入った本。思考とか、自己啓発とか、そんな棚にあったような気がする。

羽生さんの本は、ちょっと気になっていたけれど、読んだことがなかったので借りて読んでみた。

 

感想。
やっぱり、賢い人だ。とても読みやすく、分かりやすくご自身の考えがまとめられている。こねくり回した難しい表現があるわけでもない。とても簡潔に、丁寧に書かれている感じ。
そして、引用されている様々な言葉、どなたかのコメント、書籍、、どれも、日本人の教養として身に着けておきたいよな、と思うようなこと。
さすが、将棋の世界でこれだけの活躍をされてきた方だ。
羽生さんの他の本も読んでみたくなった。

 

羽生さんは、1970年、埼玉生まれ。棋士。小学6年生で、二上達也九段に師事し、奨励会に入会。6級から4段までをわずか3年間で通過。中学3年生で四段。史上3人目の中学生のプロ棋士となる。
1989年、19歳で初タイトル、竜王位を獲得。
2014年、44歳、最年少、最速、最高勝率で史上四人目の1300勝達成

 

子供のころは、私も多少は将棋をしたけれど、父には ちっとも勝てず、夢中になるほどではなかった。社会人になってから、囲碁がはやって、囲碁の方が面白いと思ったけれど、時間がかかるのと、やはり、置き石を9個しても父にはかなわず、、、いつの間にか興味を無くした。
いまでも、どちらかと言えば、囲碁の方が人が打つのを見ていても楽しいかも。

 

ま、将棋と言うのは、先読みが必要なわけで、すご~~く頭を使うゲームだ。実は、ひたすら、「型」があるのだそうだ。そして、人によって指し方にも特徴があり、羽生さんの場合は、
棋風は自他共に認めるオールラウンドで、幅広い戦法。特に終盤に繰り出す妙手は、「羽生マジック」と呼ばれ数多のファンを惹きつけている。”のだそうだ。
藤井聡太君は、コンピューター相手で訓練しているというくらいだから、きっとまた違うのだろう。

 

表紙の裏には、
東京大学大学院薬学系研究科教授 池谷裕二氏推薦!!
羽生さんの言葉には、たとえ些細なことでも、普遍性と根源性を秘めています。実践論と精神論を持ち合わせつつ、そのどちらとも違うから、何にも負けない力があります。
だから人生に焦ったり、失敗した時に読むと、ふと心落ち着く癒し系の鎮静剤として作用してくれます。”
と。

なるほど、うまいこと言うなぁ、と思う。
たしかに、普遍性のある語りなんだな。心落ち着く癒し系、わかる気がする。
だいたい、見た目も優しそうで、癒し系と言えば癒し系だし。

 

「はじめに」で、「行き先が見えない不透明な時代と言う表現がよく使われるけれど、何時の時代も不透明である。」ということを言っている。そして、先がはっきり見えている方が退屈でつまらないのではないか、と。
五里霧中であることから逃れられないのであれば、その中に活路を見出すしかない。そして、そのとき必要になるのは、「野生の勘」ではないか、と。
野生の勘、動物的嗅覚が、重要なのではないか、とおっしゃっている。
理論と知性の棋士とおもいきや、やはり、五里霧中の時は野生の勘、だと。なるほど、おっしゃる通りですね、って思う。

 

目次
1章 「豊富な経験」をどう役立ているか
 経験こそが智恵と強い精神力を生む
 結果だけにとらわれず、内容を重視する
 経験値があるからこそ、直感が生きる
 先を読む、、、正確性を上げる智恵とは
 あって当たり前の不安や恐怖
 上手に使い分けたい「集中」と「気配り」
 「責任のある立場」に立ったら考えること
 トライ・アンド・エラーが身の丈を延ばす
2章 「不調の時期」をどう乗り越えるか
 時間を有効に使うための、様々な方法
 「 基本」がなぜ大切なのか
 迷わず判断が振れない心境とは
 「誰からも必要とされていない」と感じたら
 負けることでツキと力を蓄える
 新たな「発見」を呼び込むものとは
 ”整理整頓”の大いなる効用
 集中力の高め方・持続する集中モードの作り方
3章 「独自の発想」をどう活かすか
 お酒に頼らず、しっかり眠るために
 無理に「プラス思考」を続けない
 「シンプル・イズ・ベスト」が生む画期的なアイディア
 棋士はなぜ和服を着て対局するのか
 成長するそれぞれの段階で、いかに練習するか
 情報を生かし分析し、捨てるか
 熟慮を重ねることのメリットデメリット
 ”構想力”には想像力と創造力が不可欠
4章 「変化の波」にどう対応するか
 仕事の軌跡・記録を残すということ
 たったひとつの”歩”が勝負を決める理由
 他者との違いから独自の魅力を知る
 大きな変化を受け入れられるか
 複数の視点や基準があれば、燃え尽きずにすむ
 体感するからこそ旅は楽しい
 実現可能な小さな目標をたくさん作る
 乗った波に乗り続けるために
5章 「未知の局面」にどう適応するか
 自分の個性を発揮する際の問題点
 自分なりの美学を持つということ
 変化し続ける状況に、いかに適用するか
 進歩し続けているか否かの判断基準 
 勇気をもってリスクを取らねばならない時代
 ”制約”があるから素晴らしい智恵が生まれる
 明確な答えのないものを、どう理解するか
 年齢ごとの節目をどう考えるか

 

と、おもわず、こまかなタイトルまで覚え書してしまった。いいな、と思ったから。

最近、私自身が「日本型リベラルアーツ」をテーマとした勉強会に参加しているのだが、そこで出てくる言葉と、多くのことが重なった。羽生さん自身がリベラルアーツを体現している方なのかもしれないな、と思った。

 

いくつか、気になった言葉を覚書。

「不易流行」芭蕉俳諧用語。不易とは永続性。流行は新しいということ。変わらないものと変わるもの、どちらも根本においては一つである、ということ。

羽生さんは、この言葉を、「役に立たなくなった知識にしがみついているのは、経験を活かすどころか阻害要因になる」として引用している。成功体験にしがみついて、新しいことに挑戦できなくなるって、そんな時かもしれない。

 

将棋にも「型」があるという話。ただ、「型」だからそうしているのだけれど、そうしているうちにそれがなぜ型になっているかが分かってきた、と。武道、華道、茶道、みちといわれるものはすべて「型」からできている。ルールではなく、型。先日読んだ山極寿一さんと太田光さんの『言葉が暴走する時代の処世術』で語られていたことと、まさに、重なる。

megureca.hatenablog.com


「型」から離れてしまうと、わからなくなってしまう。音楽の世界の絶対音感と似たようなものではないか、と。
なるほど。

 

秘すれば花、秘せずば花なるべからず」世阿弥の言葉。気配りの要諦として。上質な気配りは、さりげなく自然に行うもので、あてつけがましくするものではない、って感じかな。

 

リーダーに課せられる10か条 (梅原猛『将たる所以』)からの引用
一 明確な意思を持たなければならない
二 時代の理念が乗り移らなければならない
三 孤独に耐えなければならない
四 人間を知り、愛さなければならない
五 神になってはいけない
六 怨霊を作ってはいけない
七 修羅場に強く、危機を予感しなければならない
八 意思を自分の表現で伝えなければならない
九 自利利他の精神を持たねばならない
十 退き際を潔くしなければならない

なるほど。ごもっとも。言うは易し、行うは難し、、ってこういう事。


羽生さんは、知人に色紙を頼まれると、「玲瓏」と書くということ。
玲瓏:れいろう:透き通り、曇りのないさま
あまり、耳馴染みのない言葉かもしれないが、私の高校の校歌に出てくる言葉なので、へぇ、こんな言葉を大事にしている人がいたのか、、、って感じがした。

ちなみに、私の通った高校の校歌、一番は、こんなだ。

”光は希望
その光あふれる陵に
陽に向かう芽ばえの息吹き
玲瓏大気は澄みて
若き生命に薫る
友よ
青雲の心は高く
英知未来を探るもの
光陵高校
われら ここに 生きる”

Webで検索したら、すぐに出てきた。便利な時代になったものだ。
玲瓏大気は澄みて”って、なんだか、記憶に残る歌詞だった。


不調の時の乗り越え方のところで、マザーテレサの言葉を引用している。
この世の最大の不幸は、戦争や貧困などではありません。人から見放され、「自分は誰からも必要とされていない」とかんじることなのです
と。
そして、羽生さんは、そんな孤独を感じたとしても過去に誰かが同じような境遇にあっているもので、決して孤独ではないのだ、と。そして、その問題を解決する事ができたら、その境遇にであう未来の人から感謝してもらえるかもしれない、と。

「孤独」というのは「死」と同じくらい、やっぱり、人間の永遠のテーマなのかもしれない。

 

分析力の話では、佐藤優さんの言葉を引用している。
必要な情報の8割は、公開情報から得られる”と。新聞を読むときにも、行間を読めるようになれば、本当の意味が分かるようになる。つまり、情報というのはそれを手にしたところで、しっかりと自分で咀嚼分析し、意味を理解しないと使うことはできない、ということだろう。ただ、耳に入れたことをそのまま流すのは、情報を活用しているのではなく、情報の垂れ流し、、、と言えるかもしれない。

 

何が自由で、何が不自由か、と言う話では、安部公房の『砂の女が引用されている。
これは、ほんとに面白い本なので、お薦め。自由とはなにか、とても、深い。

megureca.hatenablog.com

未知の局面にどう対応するのか、という話では、
「理解したくないと思っているものは、どんなに頑張っても理解できない」と。時に、理解するためには、よくわからないことでも、許容する気持ちがあれば理解できるのではないか、と。将棋の対局でもそうかもしれないし、人間関係なんて、その最たるものかもしれない。

 

締めくくりには、論語が引用されている。
”吾れ十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳従う。七十にして心の欲する所に従って、矩(のり)を踰えず”
有名過ぎて、説明の必要はないだろう。

六十にして耳従う、というのは、きちんと心を傾けて人の話を素直に聞く、と言う意味。
なかなか、、、知っているのと、それを実践できるのとは違う。

いやはや、、、、私なんて五十にしてもまだまだ、惑い続けております。。。


うん、なかなか、面白い本だった。
ほんとに、表現もシンプルなので、あっという間に読める。

何かに煮詰まった時とか、大変な時にも、心に余裕を持てそうな、お薦めの一冊。 

 

適応力

 

『図説 あらすじで読む 日本の仏様』 by  速水侑 監修

図説 あらすじで読む 日本の仏様
速水侑 監修
青春出版社
2006年12月15日 第一刷

 

図書館の宗教の棚で見つけた本。図説、とだけあって、写真や絵といっしょに、様々な仏像についての説明の本。図鑑みたいな感じ。

私は、お寺や神社に行くのは好きだけど、仏像に詳しいわけではない。時々、ただ、美術品として美しいというものに出会うと幸せだし、博物館に観に行ったりったりもするけれど、さほど、詳しいわけではない。

本書は、日本の仏様にはどんなルーツがあって、どんな功徳があるのかなど、全体像を示してくれている一冊。正直言って、「弥勒菩薩」とか「千手観音」とか、よく聞く名前だけど、菩薩と観音は仏様とは違うもの、、、とおもっていた。仏様の一種ってことらしい。
まったく、日本人を50年以上もやってきて、神社仏閣に行くのが好きだと言いながら、、、無知もいいところだ。。。
と、この機会に、ちょっとだけお勉強。

 

私にとっては、へぇ~~~!!、そういうことっ!!っていう情報が沢山。
結構、目からうろこというか、なんとなくそう思っていたけれど、やっぱりそうか、、とかいう事があって、たまにはこういう物も目を通してみると面白いもんだな、、と思った。
ま、こんな基本も知らずに、和辻哲郎とか、梅原猛とかを読んでも楽しめていたわけなんだけど、復習したら、もっと楽しめるのかも。

 

目次
序章 日本の仏様とは一体何か
一章 如来部 真理の世界からやってきた者
二章 菩薩部 さとりを現世で実行しようとする仏
三章 明王部 姿を変えて現れた仏
四章 天部 インドの神々から転じた護法神
五章 垂迹(すいじゃく)部・羅漢 様々な守護神と覚者・聖者


仏像の話に入る前に、序章で日本の仏様とは一体何か?として、仏教がどうやって伝来したのか、そして、日本の文化にどう浸透していったのか、について語られている。

日本在来のカミ信仰では、鏡や剣、玉などを象徴的な神体とすることはあっても、人の姿で表現することは無かった。ところが、六世紀中ごろに、初めて「釈迦仏金銅像を目にした欽明天皇やその家臣は、その端正な人間の姿をした仏像に心をうばわれた。そして、その金色に輝く仏をカミとする蘇我氏を中心とする勢力と、在来の国神の怒りを招くことを恐れる物部氏を中心とする勢力が、対立する。
蘇我氏物部氏の対立は、仏なのか、古来の神なのか、という信仰の対立だったのだ。
そして、有力豪族たちの闘争の後、仏教文化が開花し、推古天皇聖徳太子厩戸皇子の時代になっていく。
ほほう、、、たしかに、そうか、そうだったのか。。。
で、聖徳太子は、法隆寺を建てたりして、仏様を大事にしたのだ。
ちょっと、歴史の勉強。


そして、お釈迦様についての説明も。つまりはゴータマ・シッダールタだ。お釈迦様は、生まれるとすぐに7歩あゆんで右手で天を、左手で地を指し、「天上天下唯我独尊」と言った、、、とか言う話は、坐禅をしにいく全生庵でも、zoom坐禅会でも、よく聞くけれど、最初からお釈迦様だったわけではない。29歳で出家し、修行するも、6年後に苦行が真実への道ではないと悟って、瞑想に入る。ま、辛いことやってもさとれないから、とりあえず瞑想しよう、、って感じだろうか。。。で、菩提樹のもとで瞑想をしていたら、悟りの時が訪れ、仏陀ブッダ)となった仏陀とは、真理に目覚めたもの、と言う意味。

とまぁ、そんな仏教の全体像が序章に在り、1~5章で、具体的な仏様について。

全体像の中でも、よく耳にする仏像について、覚書。
1章~5章まで、その中にも具体的には様々な仏様がいる。あ、こういうファミリーだったのね、って感じ。

 

1.如来:真理の世界からやってきた者
釈迦如来:悟りをひらき、教えを広めた仏教の開祖。つまり、ゴータマ・シッダールタのこと。釈迦とか、仏陀とか、色々な名前で呼ばないでほしいわ、、、、。釈迦如来って、要するに仏陀のこと。
阿弥陀如来:念仏をとなえる人々を極楽浄土へみちびく
薬師如来:心身の病を取り除く浄瑠璃界の教主
毘盧舎那如来(びるしゃなにょらい):大仏様。色々なことをなんでも包み込み、世界をあまねく照らす。
大日如来:宇宙の根源とされる密教の中心仏


2.菩薩:悟りを現世で実行しようとする者
弥勒菩薩広隆寺弥勒菩薩が有名。釈尊にかわって未来に現れ衆世を救済する
観音菩薩:苦悩に応じて姿を変え、慈悲の心で衆世を救う
十一面観音:十一面の顔を持ち、十種の現世利益を授く
馬頭観音:草を食らう馬のごとく煩悩を食らいつくす
地蔵菩薩:多種多様な道端の仏。。。。

 

3.明王:姿を変えて現れた仏
不動明王:怒った形相であらゆる煩悩を焼き尽くす。
藍染明王:愛欲の執着の中からさとりを開く
孔雀明王:孔雀の羽に抱かれた紅一点の美しき明王

 

4.天:インドの神々から転じた護法神
梵天帝釈天釈尊に説法をすすめた梵天、試練を課した帝釈天
四天王インド神話を出自とする司法の護世神
毘沙門天:戦勝・財福神として祀られる四天王随一の神
弁財天:弁天様として親しまれる芸術・商売の女神
仁王:阿吽の呼吸で寺院を守る二体の金剛力士
閻魔天:死者の罪徳を審判し冥界へ案内する裁判官


と、これくらいが、わたしがよく耳にする仏様だろうか。

本書にでて来るのは、もっともっと沢山の仏様。いやぁ、覚えられませんわ。

ギリシャ神話の神々も、みんなの名前や何の神様なのかを覚えられたら楽しいだろうな、っておもうけど、記憶に残らない。

 

話は飛ぶけれど、NASAの月への計画、「アルテミス計画」のアルテミスだって、ギリシア神話に登場する狩猟・貞潔の女神のことだ。ローマ神話では、ディアナと言われる。残念なことに、昨日予定されていた2回目の発射も延期になっちゃったけど。。アルテミス計画、って名前もかっこいい。

日本の仏様の名前が科学技術の世界で使われることは無いような気がする。
「アマテラスオオノカミ計画」とか、神話の世界の神の名前つかってもよさそうなものだけど。。。「かぐや」は、かぐや姫から来たのだろうか??

と、だいぶ、思考が飛んだ。
サイエンスの計画に、仏様の名前は、ちょっと、宗教色がでちゃってだめなのかな。


とまぁ、日本にもいろんな仏さまがいる。多くの日本人にとって、神様でも仏様でも、どっちでもいい、、、って感じなんだろうな。私は、どっちでもいいし、どっちかの区別もつけていない。。。

 

それも、奈良時代神仏習合思想」がはやり、平安時代に入って本地垂迹説」となったことが大きい、との説明書きがあった。本地垂迹説とは、日本古来の神外の本来の姿(本地)は、じつは仏であり、仏が正しい教えを護り、衆世を救うために、その能力にあわせて、この世に権(かり)の姿で現れたもの(垂迹)とする、ということ。神仏が一つんになっちゃったのだ。やはり、日本の神仏習合というのは、日本独特のものなのだ。

そして、日本人は、なんでも習合するのがうまくなった。。。和洋折衷もお手者の、、、ってね。

言い換えれば、なんでも都合よく解釈しするし、良いものは良いとして受け入れる柔軟性もある、、、なんてね。

 

と、あれこれ考えずに、ただ、ぼぉぉっと美しい仏像を見るのは、それはそれで楽しい。別に有名な仏像でなくても、美しいものは美しい。

そう思える心の余裕を持っておくことが、なんでも、楽しむ秘訣かもしれない。

 

余裕って、大事だね。

今日は、日曜日。

余裕をもって行動しよう。

台風にも備えて、、、、。

 

 

 

 

『クリスマス・キャロル』 by  チャールズ・ディケンズ 

クリスマス・キャロル
チャールズ・ディケンズ 
池 央耿(いけ ひろあき)訳
光文社 古典新訳
2006年11月20日 初版第一刷
原作:A CHRISTMAS CAROL 1843 

 

言わずと知れた名作、クリスマス・キャロル。多分、訳本だけでも何種類もあるだろう。なんせ、1843年の作品だ。そんな昔の作品が今なお読まれているというのがすごい。
そして、時代で言えば、日本は、江戸時代で老中・水野忠邦が”天保の改革”で幕府権力を強化し、庶民に厳しい倹約を強いていた頃。

ディケンズの住む街、ロンドンでは清とのアヘン戦争に勝って国は景気づいているものの、富む人は富、貧しい人は貧しいまま、、という時代。そんな時代の物語。おとぎ話と言うのか、小説と言うのか、、、。
児童文学として訳されているものもあると思うし、とにかく、色々と目にする機会のあるお話の一つだろう。

 

この夏の暑い中、なんで、『クリスマス・キャロル』よ、、、と思うのだが、目についてしまったのだ。図書館の棚で。
本に呼ばれている気がして、おもわず、借りてしまった。

 

本の裏の紹介には、
”並外れた守銭奴で知られるスクルージは、クリスマス・イヴにかつての盟友で亡きマーリーの亡霊と対面する。マーリーの予言通りに3人の精霊に導かれて、自らの辛い過去と対面し、クリスマスを祝う、貧しく心清らかな人々の姿を見せられる。そして最後に自分の未来を知ることに。” 
と。
守銭奴(しゅせんど:金銭に対する欲が強く、ためることだけに執着する人)

 

作者のチャールズ・ディケンズは、1812~1870年。イギリスの作家。親が借金を抱え、ロンドンのスラム街で少年時代を過ごす。法律事務所の使い走り、速記者などをしながら大英博物館に通って勉強し、新聞記者になる。ジャーナリストの目で社会を凝視した作品は大衆に歓迎された。

古典の中の古典ともいうべき、一冊。

 

感想。
結末をわかっているのだけれど、やはり、ついつい引き込まれてしまう面白さ。楽しいという面白さではない。 人間の性善説を信じたくなるような、人は誰でもいつでも変われるという前向きさを信じたくなるような、、、、。意固地になっても何もいいことは無い、感謝の心をわすれずに、素直に生きるのが一番、と思わせてくれる、そんな一冊。
人生の教えがあるという表現は重すぎる。なんというか、こんなおとぎ話あるかいな!という話の展開ではあるのだけれど、、、、1時間のアニメにでもできそうなくらい、単純なストーリー。でも、よかったね、、、って感じ。

 

以下、ネタバレあり。

 

物語は、ケチンボの偏屈爺さん、スクルージが主人公。
スクルージがどれだけケチンボかって?
そのまま、ディケンズの表現を引用しよう。
いやはやそれにしてもスクルージは並外れた守銭奴で、人の心を石臼ですりつぶすような、情け知らずだった。搾り取り、もぎ取り、つかみ取り、握りしめて、なお欲深い因業爺である。鉄片を打ち付けても盛んな火花を散らすことのない、硬く尖った燧石(ひうちいし)に等しく、腹を明かさず、我が強く、牡蠣のように人付き合いが悪い。冷たい心は老顔を凍らせて、鷲鼻をかじかめ、頬に皺を刻んだ。足取りはギクシャクとぎこちなく、目は血走って、薄い唇は青黛を引いたようである。物言う声は耳障りで、その口は陰にこもって悪賢い。

まぁ、よくも、これだけ感じの悪い人間を表現できるものだ、、、ってくらい、スクルージはとんでもない人として描かれている。

そんなスクルージの、ある年のクリスマスイヴが物語の始まり。明日のクリスマスパーティに家に来ないかと誘ってくれる甥には、「くだらない!」といって追い返し、救貧院への寄付を募る訪問人には、救貧院の人間なんて「さっさと死ねばいい。余分な人口が減って、世のためというもんだ」と、言い放つ始末。

まぁ、要するに、他人のことはどうでもいい、自分の事だけ考えている頑固爺。

そして、その晩、以前の仕事相棒だったマーリーの亡霊にであう。そして、マーリーの亡霊に、これから、3人の精霊にであうことになるだろう、と言われる。

マーリーの亡霊の言った通り、毎日、夜中に精霊にあうスクージ。3人はそれぞれ、スクルージを連れて時を越えた世界に飛び、
過去
現在
未来
の様子をスクルージに見せる。

辛かった幼い時の記憶。
さっき、追い返した甥の家族が、楽しそうに過ごしている場面。
そして、どうやら誰かが死んで、みんながせいせいしたと言って喜んでいる世界。

未来で死んでいたのは、他でもない、自分だったのだ。
誰にも愛されず、死んでせいせいした、、、と言われている自分をみて、スクルージは涙にくれる。。。

そして、改心する、という、何とも単純なお話なのだ。

自分の未来を見せられて悲しみに暮れて泣き寝入ったスクルージだったのだが、目覚めると
まだ、クリスマスの日だったのだ。
「過去、現在、未来!」
自分は、まだ死んでいない。
スクルージは、自分にはこの先、まだ、償いのための時間があることに感謝する
そして、甥の家にシチメンチョウの料理を届け、「仲間に入れてもらえるかな、フレッド」といって、家を訪ねる。

そして、みんなの心がひとつになって、愉しんでいることに至福を覚える。
クリスマス休暇を渋々許可した使用人にも、「クリスマス、おめでとう!ボブ!」と。

一夜にして、良い人に変わってしまったスクルージ

スクルージは節欲の心で、つつましく生涯を送った

ということで、ハッピーエンド。


自分の過去を振り返り、今の自分の評判を聞き、今の延長にある未来の自分の姿をみたことで、改心したスクルージ
でも、スクルージは、最初からケチンボなだけで、人に悪意を持った人であったわけではなかったのだ。
人から搾取したり、だましたりしていたわけではない。
ただただ、ケチンボだったのだ。

スクルージという人その者が変わったわけではない。
ちょっと、考え方を変えて、行動をかえた、、、多分、そういうことなのだ。


そして、ある日突然、コロッと態度が変わったって、良い方向に変わったのなら人々はそれを快く受け止めてくれる。
それが仲間なんだよ、って、そんなことなのかな。

難しく考えず、ただ、シンプルに考えれば、歓びは人と分かち合った方が幸せだよ、ってことかな。 

 

ちなみに、キャロルって、祝歌って意味だ。

クリスマス・キャロルは、クリスマスに歌って楽しむ歌。

 

クリスマスでなくても、仲間と一緒に楽しむのは楽しい。

ちょっとくらいケンカしたって、一緒に食事して、一緒に歌っていたら、仲直りできるかもね。

それは、おとぎ話の世界でなく、現実の世界だって、きっと可能なんだ。

なんてね。

 

夏に読むクリスマス・キャロルも悪くない。

読書は楽しい。

 

クリスマス・キャロル