「禅と儒教」を考える

今日の坐禅会で教えていただいたこと。


「禅と儒教」を考える。

 


日本における神仏儒の習合というのは、どう成り立ってきたのかを考えてみる。


日本には、縄文時代以来の日本的霊性アニミズムを含む)というものがあった。それから、5世紀頃に伝来した儒教、仏教が習合し、律令国家(聖徳太子:574年-622年) の頃、三つが習合した形ができあがった。


もともと、日本には神道的なものがあったので、禅と儒教が外からやってきたとき、日本の受け止め方としては、それぞれ別のものとしていた。

 

一方、中国においては唐の時代(618年 - 907年)に、儒教が栄えた。それが鎌倉仏教に影響を与えた。


*鎌倉時代:1185年-1333年 (現在は、昭和の時代に学校でならった1192年(いいくにつくろう)ではないという説が主流)

 

その後、中国は、宋の時代、特に12世紀 南宋の時代に、易姓革命(えきせいかくめい)で昔のことを否定して、見直した中で宋学がでてきた。元を挟んで明の時代、宋・明の時代に、中国哲学が確立した時代と言われている。(九州大学教授 岡田武彦先生)


易姓革命(えきせいかくめい):古代中国において起こった孟子らの儒教に基づく、五行思想などから王朝の交代を正当化する理論。

 

そして、坐禅と静座、の関係とは?


静座の特色は清澄の場において内省し、人間は本来完全であること、社会的存在であることを覚醒し、万物一体の仁による大同社会(階級的差別や搾取のない自由平等平和の社会)の実現を理想とするところにある。


儒教における静座が始まったのは、中国の唐の時代の禅がベースになっているので、宋の時代の儒学者はみんな禅をやっていた。


儒教は、日本に来る前にすでに、中国の宗明の時代において禅と習合していた。
それが、朱子学の初期の考え方。つまり、朱子の考え方であり、明の時代の陽明学の基礎になっている。
その基礎に対応するのが、坐禅と静座、という行動修行方法。


儒教における静座とは、
「臍下丹田(せいかたんでん)に力を込めて鼻端(びたん)を注視して、内省」
坐禅そのもの。中国宋明の新儒教の修行論の一つ。

 

朱子自体が、「半日静座、半日読書」という生活を信条としていた。


それが日本に伝来した。日本は室町時代鎌倉五山 (臨済宗の禅寺: 建長寺円覚寺寿福寺浄智寺浄妙寺) の時代、禅と儒教が一緒になって到来し、江戸時代に、林羅山たちが、朱子学を官学として導入した。

 

儒教の書物「大学」の中に「格物致知誠意正心」という言葉がある。


「格物 → 致知 → 誠意 → 正心 → 修身 → 斉家 → 治国 → 平天下」

 
この中の、「誠意、正心」というところが、禅でいうところの正念になる。 

 

実のところ、朱子学は、その後、科挙制度の中で世俗化して、変質してしまった。

 

陽明学の始祖である王陽明は、禅の修行のなかで、
「龍場の大悟(りゅうじょうのたいご)」という大きな悟りがあったとされている。


それは、
「物事の理は、自分自身の内面に備わっており、外部に求める必要はない。物事の道理は物事に備わっているのではなく、判断主体である自分の心の中にあるのだ」という悟り。


これが、坐禅という悟り。
これが、陽明学のベースになっている。


江戸時代に導入した儒教というのは、朱子学というよりも朱子の元々の考え方、孔孟思想からきている。日本の古学、朱子学陽明学は、禅と儒教が習合しているものとして、受け取った。 

 

そして、日本における習合した形が浸透していくのである。

 

なんだか、ちょっと難しい。

私の中では消化しきれない話だった。

もともと、物事の原理原則を、これは○○教だから、とか、これは禅の教えだから、とか考えることなく、習合して受け止めてしまっているからだろう。

 

よくわからなくても、とりあえず、書き留めておく。

素読みたいなもの。

素記って言葉はないのかね?

よくわからなくても、とりあえず、書き留める。

写経なんて、そんなものかもしれない。

 

習合して受け止める。

それでよい。