『生き心地の良い町』を読んでいて、先日、『脳・戦争・ナショナリズム』を読んでいたときの違和感だったものがわかった気がする。
スイッチャーが不在な感じだ。話の中で異論を唱えたり、悪口にすすみそうなときにさっと話題を変えたり、そういうことをする役割の人。スイッチャー。
『脳・戦争・ナショナリズム』を読んでいて、よってたかって人をバカ呼ばわりするのが気になったのは間違いないのだけれど、それだけではない。
なにか、信子さんまでそれに付き合って「そうだよね」と言っている感じ。3人あつまって誰かの悪口を言っているのを聞いているような、そんな違和感。
みんなが同じ方向を見すぎている感じで、異なる意見を交換し合っているよりは、同調の雰囲気に違和感を感じたんだ。
と、ふと気が付いた。
鼎談なのだけど、鼎談の中で新しい見解が3人の中で生まれるというより、それぞれが自分の知識や思考を表現していて、全員異議なし!みたいな感じ。
鼎談とか、対談は、それぞれの異なる意見が交わされて、その中で新たな解釈が生まれたり、誰かの疑問に誰かが答えることで、読者にも新しい解釈への気づきがあるとか、そういうものが面白いのではないだろうか。
あくまでも、私にとってということだけれど。
『脳・戦争・ナショナリズム』の3人は、それぞれの知識は面白いし、ふぅぅん、なるほど、ということもたくさんあったのだけれど、なんとなく感じた物足りなさ感。
もともと、10時間の鼎談を新書にしたようなので、きっと、原稿にしたときにこういう雰囲気になっちゃったんだろうな、、、という気もしなくもない。
対談や鼎談って、編集者の腕の見せ所なのかもしれないな、って思った。
インタビュー記事や番組だって、編集したときに本人がホントに伝えたかったことがカットされちゃったりすることもある。
編集って、すごい仕事なんだなぁ、、、と改めて思った。
最近読んだ本の中で、鼎談の面白さが満開と思ったのは、『AIと日本企業 日本人はロボットに勝てるか』と『日本人は思想したか』。megureca.hatenablog.com
どちらも、進行役が明確。
だから、編集も明確になるのかな?
そういう本の方が、読んでいて、私にはわかりやすいのかもしれない。
鼎談にもいろいろある。
本にもいろいろある。
たくさん読んでいると、読み始めてしばらくすると、これは自分の好きな本なのかそうではないのか、感じるようになってくる。
もっと、たくさんの本に出合いたい。
と、つくづく思った。
読書ほど安上がりな娯楽はない。
読書は楽しい。
本にもいろいろある。
人生もいろいろある。
いろいろあって、それでいい。
ってことかな。