『ダメ女たちの人生をかえた奇蹟の料理教室』 by キャスリーン・フリン

ダメ女たちの人生をかえた奇蹟の料理教室
キャスリーン・フリン
村井理子 訳
きこ書房
2017年2月7日 第1刷発行
2017年7月24日 第4刷発行
The Kitchen Counter Cooking School
How a Few Simple Lessons Transformed Nine Culinary Novices into Fearless Home Cooks
(2011)


新聞の広告で、あのベストセラーがついに文庫化!みたいな文字がおどっていた。ってことは、単行本はもう古い本のはず。とおもって、図書館で探したらすぐに借りられた。

表紙の裏には、
”食べることは、生きること。
料理ができない、そのせいで、自信を持てなくなっていた。
年齢も職業もさまざまな女たちが、励まし合い、泣き、笑い、野菜を刻む。
10任の人生をかけた、リベンジがはじまる。”
と。

著者のキャスリーン・フリンさんは、37歳でフランスのル・コルドン・ブルーを卒業後、米国に帰国。2007年、ル・コルドン・ブルーでの体験をつづった、『36歳、名門料理学校に飛び来む! リストラされた彼女の決断』(野沢佳織訳、柏書房)がニューヨークタイムズ紙のベストセラーに選ばれた。ライターであり、ジャーナリスト。

本格的料理を学んでいながら、シェフとしての道ではなく、ライター、ジャーナリストとしてのキャリアを伸ばしていく。『36歳、名門料理学校に飛び来む! リストラされた彼女の決断』で、どんな決断が語られているのか、ちょっと興味津々。

 

目次
PROLOGUE スーパーのカートには人生がつまっている
PART1 泣き笑い、料理する、その心にはいつもパリ
PART2 加工食品はもういらない、なんだってイチからカンタン
PART3 ほんの少し買い、たくさん作り、捨てない幸せ
レシピ

 

感想。
うん、なるほどね。なかなか面白かった。お料理は、素材が大事。そして、こう作らなきゃいけないとか、レシピに忠実にならなきゃいけないとか、料理の奴隷になる必要はない。自分流でいいのだ。自分の好みにつくればいい。

でも、大事なのは、身体が知る、本当のおいしさを知っていること。加工食品、ファストフードの味ではない、本当の素材のおいしさ。家庭でつくれば添加する必要のないものが添加されているのが加工食品。パンだって、室温に置いておいてカビないパンは、必ず防腐剤が入っている。自分でパンを作ってみればわかる。すぐ乾燥するし、かびる。

 

本書は、スーパーで加工食品を山のように買い込む客をみた著者が、
「もっと料理をしたい、って気持ちにさせられるレッスンをしてみよう」と思いついたことをきっかけとする料理教室の話。


断捨離トレーナーが、お宅訪問をしてクローゼットを見せてもらって指南するように、キッチンを見せてもらって、料理を指南する、っていうアイディア。

 

そして、何人かのキッチンを訪問し、そのうち10人の料理初心者が、著者の企画した料理教室に通うこととなる。最初は、男性の候補者もいたそうだが、辞退されたので、結果的に女性が10人で教室は始まる。場所は、ケータリング業者が所有しているキッチン。


まずは、包丁のレッスン。どうして安物の包丁より、それなりの重さのある包丁の方が良いのか、鋼の包丁がいかに優れているか、どう握るのか、、。何より、自分の包丁をもってきてもらったところ、普通の万能包丁をもっていたのは1人だけ。普段料理をしていない生徒たちは、包丁が怖いとか、あんまり使わないから安いものでいいとか、そもそも、料理に適した包丁を持っていなかった。

 

包丁は、柄の近くにボルスター(つば)と呼ばれる金属の厚みの部分があり、それが柄のどこまで伸びているかによって、包丁のバランスを取るようにできている。だから、柄に数センチしか中子(柄に入っている部分)が入っていないとバランスの悪い、使いにくい包丁となってしまう。

 

なるほど、そうだったか。。。。
私は、20代の頃に知り合いの方から頂いた本格的な鋼の包丁セットを、今でも愛用している。見てみると、柄の中に半分以上の長さで中子が入っていた。なるほど、使いやすいはずだ。

包丁は、本人が使いやすいと思えることが大事なので、何本も購入するより、本当に使い勝手のいいものを1本そろえてほしい、とのこと。

 

料理の基本は、包丁から。なるほど、なるほど。

そして、野菜の切り方の練習。お肉とは、もともと生きている動物であるということを再認識するために、丸鳥の解体。最初は、ズッキーニを角切りにすることすらままならなかった生徒たちは、最後は鮮やかな包丁さばきで、あれよあれよと料理をするようになる。

 

面白いと思ったのは、塩、チキンスープ、トマト缶など、素材のテイスティング比べ。購入した様々なブランドのこれらをなめ比べてみて、みんなはじめて色々な味の違いに気が付く。そして、それを言葉で表現することで、人と感想を共有し、互いに、意見交換ができるようになっていく。塩をなべくらべることなんてなかなかないだろう。いや、チキンスープだって、トマト缶だって、その時に使うのは1種類で、多数を比べてテースティングというのは、結構貴重な経験だ。ワインだって、スクールなら一度に色々テースティングして比べられるけれど、普通、自宅で開けるのは1本ずつだろう。。

 

で、大事なのは、使用する前に、味見するということ。塩だって、それぞれ味があるのだ。普段、塩を直接なめることはなかなかないだろうけれど、とがった塩味、丸い塩味、雑味を感じる塩味、などなど、、、、色々あるのだ。

 

私の場合、勤めていた会社が食品会社で、社員として官能評価に駆り出されることがあったので、素材の味比較をしていた経験があり、なんとなく、塩のテースティングというのもわかる。もしも、やったことがなければ一度やってみると面白いと思う。

 

チキンスープに関して言えば、自分でつくったスープストックと比較してみると、いかに市販されていチキンスープ缶やレトルトは、塩分過多かがわかる。そんな実験もしている。

生徒たちは、さまざまな素材をテースティングすることで、いかに、加工食品には添加物が多かったのかということに気が付き、自分で料理することの大切さ、そして、健康的な食事がもたらす身体の快適さに気づき、料理に目覚めていく。

 

生徒それぞれのプライベートでの課題なども時にコラム的におりこまれていて、普通の身近な人々が料理に目覚めていく進化?!が楽しく、あっという間に読み進めることができる。

 

いやぁ、やっぱり、料理でしょ。
私たちの体は、私たちが食べたものでしかつくられない。


あぁしなきゃいけないって囚われる必要はなく、試行錯誤で料理してみればいいのだ。

「失敗したとしたって、人生無数にある食事のうちの、1回じゃない!」って。

 

食べ残しも良くないけど、冷蔵庫で腐らせてしまう食材も、お金も資源も無駄遣いになってしまう。少なく買うことも大事、ということ。

料理をしない人ほど、大量に買った方が割安だから、、、と、大量に買い込み、結局つかわずに廃棄。、、、ってことがあるらしい。

 

私は、比較的料理は良くするほうだけれど、それでも冷蔵庫の中で、ミイラになった野菜がでてきたりすることがある。たくさん買って、たくさん冷蔵庫に突っ込むから、野菜が重なって、奥のものが忘れられていく、、、、。

風通しの良いクローゼットのように、見通しの良い冷蔵庫って大事だね。
なかなか、面白い一冊だった。

 

でもね、、、実は、なんか、読み終わって、違和感があったのだ。。。。なんだか、素直に料理の話だけではない違和感が、、、、。

 

表紙の写真を撮っていて気が付いた。
いったい、なんで「ダメ女」なんていうタイトルにしたんだ????
原作には、「ダメ女」なんて一言も出てこない。料理初心者というだけだ。でもって、表紙のイラストも日本人が書いたもの。原作は、エプロンが並んでいるだけなんですけど???

どう考えてもジェンダー意識なさすぎでしょ。料理ができない女=ダメ女、みたいな。料理ができないくらいで、ダメ女とか言われたくないでしょ。なんか、、、日本の出版元に対して、ちょっと、いやぁな印象を持ってしまった。

かくいう私も、「ダメ女たちの人生をかえた」というタイトルに惹かれて本書を手にしたような気もするんだけどね。

ただ、原作には、「ダメ女」とは出てきません。映画のタイトルも、本のタイトルも、日本語にしたとたんに、なんか、センスない、、、っておもっちゃうことって結構あるのよね。人の眼を惹こうというマーケティング根性丸出し、、、みたいな。。。どっかのコンサルティングに言われて、AIDMA徹底して頑張りました!みたいな・・・。

 

AIDMA(アイドマ):1920年代にアメリカのサミュエル・ローランド・ホール氏が、販売・広告の実務書で提示した広告宣伝に対する消費者の心理プロセスを、体系化したフレームワーク

 

人の眼をひくタイトルにすることだけを考えているような恣意的なものを感じてしまった。

 

私が、著者のフリンさんだったら、こんなタイトル、許可しないなぁ。。。

邦訳のタイトル以外は、良い本だった。 

 

やっぱり、料理は楽しいし、体にいいし、コスパもいい。

私が料理好きな理由は、やっぱり、自分で作ったもののほうが材料の正体がわかっていて、かつ、美味しいし、安いからかな。

 

料理の奴隷にならずに、料理を楽しもう!!