『声に出して読みたい日本語』  by 齋藤孝

声に出して読みたい日本語 
齋藤孝
草思社
2001年9月18日 第1刷発行
2002年2月14日 第34刷発行

 

先日、齋藤さんの『なぜ日本語はなくなってはいけないのか』を読んだ時、やっぱり、本書も読んでみようと思ったので、図書館でかりてみた。

megureca.hatenablog.com

 

2001年9月に発売されて、翌年の2月には第34刷というのだから、どれほど売れたのか。しかも、20年も前か・・・・。たしかに、すごく話題になったのは覚えている。でも、当時の私は、日本語とか文化とかより、サイエンスとビジネスが全てのような生活をしていたので、手に取ることはなかった。

 

表紙の裏には、
”いま、暗誦文化は絶滅の危機に瀕している。かつては、暗誦文化は隆盛を誇っていた。小学校の授業においても、暗誦や朗誦(ろうしょう)の比重は低くなってきているように思われる。・・・・歴史の中で 吟味され生き抜いてきた名文、名文句を私たちのスタンダードとして選んだ。 声に出して読み上げてみると、そのリズムやテンポの良さが身体に染み込んでくる。 そして身体に活力を与える。 それは、 たとえしみじみしたものであっても、心の力につながってくる。”
とある。

 

目次
一、 腹から声を出す
二、 あこがれに浮き立つ
三、 リズム・テンポに乗る
四、 しみじみ味わう
五、 季節・情景を肌で感じる
六、 芯が通る・腰肚を据える
七、 身体に覚え込ませる・座右の銘
八、 物語の世界に浸る

 

「はじめに」で、齋藤さんは、”ただ目で黙読するというのではなく、大きく声に出して読み上げていってください。”といっている。そうかそうか、と、声に出して読んでみた。いがいと、気持ちいい。しかも、冒頭だけは聞いたことがあるけれど、、という文章が、それなりの段落で掲載されているので、そうか、続きはそうだったか、と思えるところも楽しい。

 

なんせ、紹介される最初の1文が、

知らざあ言って聞かせやしょう。浜の真砂と五右衛門が、歌に残せし盗人の、種は尽きねえ七里ガ浜、その白浪の夜働き、以前のいやあ江ノ島で、年季勤めの児ケ淵(ちごがふち)。・・・・・・・・・名さえ由縁(ゆかり)の弁天小僧菊之助たぁ、おれがことだ。”

えぇぇっと、何のセリフだっけ?でも、きいたことあるぞ?っていう人もいるのでは。歌舞伎の『弁天娘女男白浪(べんてんむすめめおのしらなみ)白波五人男』河竹黙阿弥)の一幕。白浪五人男(泥棒)の一人、弁天小僧菊之助が、正体を明かす場面。綺麗な女性かと思いきや、真っ赤な長襦袢から肌をむき出してキセルを振り回し、「おれがことだぁ!!」と。

あぁ、これをすらすら言えたら、かっこいい!!

ついでに、みえをきってみたりして。

 

と、声に出して気持ちいい日本語が並ぶ。文語につづいて、その解説や、口語要約も乗っているので、古文・日本語の勉強にもなる。これ、このまま、教科書にしても楽しいだろう、と思う。引用されているのも芝居の場面だけではない。もちろん、文学作品から、短歌、歌、狂言、随筆、論語、般若心境、、、多岐にわたる。


全部、覚書したいくらいだけど、、、、。

一度聴いたらわすれない、、っていうフレーズがたくさん載っている。しかも、続きが確認できるので、やっぱり、辞書的にお家に一冊あってもいいかもしれない、と思った。

 

主な冒頭だけ覚書。

「てまえ持ちいだしたるは、四六のがまだ」:大道芸・ガマの油

「赤城の山も今夜を限り」:新国劇国定忠治

「まだあげ初めし前髪の」:初恋、島崎藤村

「あらまぁ、金ちゃん、すまなかったねえ」:落語、寿限無

「ゆく河の流れは絶えずして」:方丈記鴨長明


「国破れて山河あり 城春にして草木深し」: 漢詩・春望、杜甫

「春はあけもの。やうやうしろくなり行く」:枕草子清少納言

秘すれば花なり」: 風姿花伝、 世阿弥

「子曰わく、学びて時に之れを習う」:論語孔子

「少年老い易く学成り難し」:漢詩、偶成、朱熹

「つれづれなるままに、日くらし」:徒然草吉田兼好

「道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に」:伊豆の踊子、 川端康成

・・・

あげれば、ほんとにきりがない。

 

口に出していってみると、リズムやテンポがよく感じられる。これらの一節を暗誦できたら、かっこいいだろうな、と思う。声に出すことで、耳から音が入るので、その心地よさをより身体で感じることができる。

 

日本語だなぁ、って思う。英語の勉強で、シャドーイングをよくするのだけれど、日本語のシャドーイングや音読も、実は大事。言葉は、アクセントやイントネーションの違いで意味も変わる。やはり、音にして発話するって大切。同じ文章を、方言風によんでみたり、酔っ払い風によんみたら、印象もかわる。活字では伝わらない雰囲気があるのが、音読。結構楽しい。顔の運動にもなるしね。

 

このなかで、日本語の美しさではないのに、なぜか耳にのこるのは、寿限無か。

 

せっかくなので、続きを。

「あらまあ、金ちゃん、すまなかったねぇ。じゃぁなにかい、うちの寿限無寿限無、五劫(ごこう)のすりきれ、海砂利水魚(かいじゃりすいぎょ)の水行末(すいぎょうまつ)、雲来末(うんらいまつ)、風来末(ふうらいまつ)、 食う寝るところに住むところ、やぶらこうじのぶらこうじ、パイポパイポパイポシューリンガンシューリンガングーリンダイグーリンダイポンポコピーのポンポコナの長久命(ちょうきゅうめい)の長助(ちょうすけ)が、おまえのあたまにこぶをこしらえたって、まぁ、とんでもない子じゃないか。
ちょいと、おまえさん、きいたかい?うちの寿限無寿限無、、、、、、、、、、、、、長介が、金ちゃんのあたまへこぶをこしらえたんだとさ」

 

子どものとき、父がテレビで落語を見ているのを見て、覚えてみたいと思ったものだけれど、私が落研にすすむことはなかった・・・。

 

川端康成夏目漱石の文章の出だしも、やはり美しい。やっぱり、出だしの美しさは声に出して読んだ時のテンポの良さも大事な気がする。

「吾輩はねこである」なんて、なんでもない一文でありながら、それでそれで?って続きが待ち遠しい。

 

声に出して読みたい日本語、いいね。

美しい日本語を大事にしたいな、って思う。

 

百人一首からもいくつか紹介があった。結局、全てを覚えることのなかった百人一首。我が家にあった札は、すてちゃったのかな。あれは、本ではなく、札でおぼえたいところだね。

 

うん、読んでよかった。

解説を飛ばして、音読するだけなら、あっという間。

出版から20年たっても、引用されている文章の生き生きとした感じがまったく衰えていないのもすごい。

 

文字にする、文章にするって、大事。

日本語を大事にしよう。

気になる言葉は、声に出して読んでみよう。

 

「少年老い易く学成り難し」

人生は、死ぬまで学びなのだ。