『知の教室』 by 佐藤優

知の教室
教養は最強の武器である

佐藤優
文春文庫
2015年8月10日 第一刷

 

図書館で見かけたので借りてみた。479ページの分厚い文庫本。

装丁が面白い。佐藤さんの目力!!


サブタイトルにあるように、”教養は最強の武器である”ということで 、佐藤さん曰く、「本書はがっついたビジネスパーソンや学生を念頭においた実践書」だとのこと。
2015年の本であり、かつ、それ以前のレポートを引用しているところもあるので、政治関係の話は最新、というわけにはいかないけれど、歴史的に振り替えることが出来る。

様々な専門家たちとの対談、鼎談なども掲載されていて、佐藤さんの視点だけでなく、色々な話題が語られている。
なかなか、読み応えのある一冊。

意図したわけではないのだけれど、このところ佐藤さんの2015年頃の著書をいくつか読んでいるので、かなり、重なる話もある。一回で腹落ちしなかった話も、なんどか読んでいると、あぁ、なるほど、、、、とつながりが見えてきたりするから面白い。

2015年、きっと精力的にがんがん書いていたのだろう。

megureca.hatenablog.com

megureca.hatenablog.com

megureca.hatenablog.com

 

うん、『知の教室』だ。なかなか、面白い一冊。
お薦めの本のリストなどもあるので、一冊、手元に置いておいてもよいかも、とも思った。でも、2015年の本なので、蔵書を増やすのは、やっぱり、もっと新しい物を読んでからにしよう。。 。。かな。

 

佐藤さん曰く、教養は、すぐに役立つ事柄を学ぶのではなく、何の役にも立たないようにみる教養こそが、中長期的視点で役に立つ、と。佐藤さんにとっては、神学研究が中長期視点で大いに役に立った教養、ということだ。
大学の専門を専攻するとき、神学を選ぶって、やっぱり、すごい勇気の気がする。いくら、母親がプロテスタントだったからと言え、、、当時、佐藤さんはまだ洗礼も受けていないし、どちらかというと無神論を研究してみたくて神学部にすすんだ、とどこかで読んだ気がする。

まぁ、私にとっての読書は、別にこれから先の専門性を高めよう、というわけではないので、役に立つ日が来るのかはわからないけれど、楽しく読書で学べているということだけでも、儲けもん?かな。

 

目次
第一講座 佐藤優の知的技術のヒント
第二講座 情報を拾う、情報を使う        (池上彰、西木正明)
第三講座 知をビジネスに取り込む        (山内昌之
第四講座 知の幹を作る最低限の読書    (斎藤美奈子米光一成
第五講座 武器としての教養を蓄える    
第六講座 佐藤優式・闘い方を学ぶ        (堀江貴文鹿島茂藤原正彦、水木楊)
第七講座 対話のテクニックを磨く        (玄侑宗久伊藤潤二塩野七生池内恵
第八講座 分析力を鍛える 国際情報篇    (中西輝政、春名幹男、宮家邦彦、山内昌之、                     井上寿一、川村雄介、田久保忠衛
第九講座 分析力ケーススタディ ロシア読解篇
第十講座 佐藤優の実践ライブゼミ

佐藤優「知の年表」
あとがき
登場者紹介
初出一覧


と、モリモリの内容。
でてきた対話の相手も、知らない人も多数。。。

あまりに多岐にわたるので、佐藤さんからのライフハックを覚書。

 

佐藤さんは、朝5時に起きて、その瞬間から仕事を始める。
脳の活動が活発な午前中に執筆活動

 

記憶を定着させるには、関連させて覚えること。テーマがいくつかあれば、指を折りながら、一つ、二つ、、、と覚えていく。

 

集中力を切らさないためには、脳のエネルギーが必要。それにはぶどう糖が一番。集中して仕事をするときに、低血糖症対策のゼリー状のものを摂るそうだ。
さすが、、、ストイック、、、。

 

人生で読める本はそう多くないので、読まなくてもいい本をはじき出すこと。熟読すべき本は、鉛筆、消しゴム、ノートの三種の神器を使って、とことん読む。一回目は線を引きながら。二回目は特に大事なところを線で囲む。三回目は結論部分を三回読んだうえで全体の通読。これは、よほど大事な本とのこと。

 

ノートは、一冊にまとめる。記録、仕事、学習、すべては一冊のノートに。佐藤さん愛用は、コクヨの分厚いキャンバスノート、と。

 

情報を拾うためには新聞を読むこと朝日新聞は手堅い取材をするので事実関係は間違いない。いくつも読めないならば、朝日新聞を、と。

 

知を実生活につかった実践例が、拘置所での聖書。具体的に10の聖書の言葉がリストされている。これは、、、、拘置所に行かないで済むことが一番か?!?!
でも、理屈を超えた救済、人は自分を変えられる、など、、、聖書になじみが無くても、聞いたことがあるような言葉が並ぶ。
今の私に響いたのは、
「狭い門から入りなさい」(『マタイによる福音書』7章13節)
人生では、何度も決断に直面する。そのとき、「狭い門」すなわち、より困難な道を選択しろ、ということ。

 

会議同時通訳なんて、ほんとに私にできるのだろうか??と、、しょげる日々もあるのだが、狭き門に挑戦しているのだ、とおもって、、、頑張ってみよう、、と思った。
無駄な努力とならないように、、、頑張ろう。

 

第四講座では、登場するメンバーのお薦め本が10冊ずつ紹介されている。気になる、気になる、気になる。。。ちょっとだけ、覚書。

 

佐藤さんの、近代を知るためのお薦め10冊。

『論理的に考え、書く力』 芳沢光雄 光文社新書
『ネコの動物学』 大石孝雄 東京大学出版会
『認識の対象』 リッケルト (山内得立 訳)岩波文庫 
『論理学』 野谷茂樹 東京大学出版会
『翻訳の政治学 近代東アジア世界の形成と日琉関係の変容』 與那覇潤 岩波新書
モナドジー形而上学叙説』 ライプニッツ清水富雄他 訳)中公クラシックス
太平記』(全4巻) 長谷川瑞校 小学館
『民族とナショナリズム』アーネスト・ゲルナー 加藤節監訳 岩波書店
『経済原論』宇野弘蔵 岩波書店
『ネットで「つながる」ことの耐えられない軽さ』 藤原智美 文藝春秋

 

米光さんの、世界を楽しむための10冊から
『「こころ」で読みなおす漱石文学 大人になれなかった先生』 石原千秋 朝日文庫
『翻訳教室』 柴田元幸 朝日文庫

 

ちなみに、この章で、村上春樹『1Q84』が宗教を知るための本として紹介されている。キリスト教を示唆するシーンがたくさんある、、、と。そうだっけ??まぁ、不思議ちゃんのほんだったけど、当時の私は気が付かなかった。

 

第五講座で、佐藤さんの「教養」の定義。
教養とは学術的な『知』を生活と結びつけて活用する能力。
活用しなければ、教養とはいえないということ。ただの物知りと、教養があるというのは違う。でもって、 新自由主義は、教養とは無縁、だと。MBAは、運転免許でしかなく、ビジネススクールに行ったからと言って教養が身につくわけではない、と。新自由主義は、「規制緩和さえすれば、競争の原理だけですべてうまくいく」という発想なので、創造的知性が必要とされない、、と。あ、、、ちょっと、、、わかる気がする。

 

第七講座での、玄侑宗久との対談は、おもしろい。佐藤さんのお父さんが玄侑さんのお寺のある福島県三春であったという話は、二人で奇遇だと面白がっているのが面白い。
玄侑宗久さんの『福島に生きる』についてかたられているのだが、震災のあとの福島と、沖縄についてのダイアローグ。日本における、原発と基地のありようが、似ているという話。日本のために地域が背負っているモノ、そしてそれを普段はだれも意識していない、ということ。。。加えて、お二人の話は、国民の意識の話から、国会議員の話に至る。
佐藤さん曰く、「今の国会議員の何がいちばん問題かというと、偏差値が上がっちゃったこと。学校秀才ばかり」と。同質の人間ばかりの議論では、全体の代表にならない、と。。。2022年の今もかわっていないか?!?!

 

二人の世界への視線は、永世中立国の話へ。玄侑さんは、日本が永世中立国になればいい、とおっしゃる。佐藤さんは、難しいだろう、という。。。
そして、第二次世界大戦時に中立国だったベルギーにドイツが侵攻してきた話題に。中立国だからと言って、侵攻されない保証はないのだと。
中国なら、「約束はしたけど、約束を守るとは言っていない」とか言いかねないから、永世中立国になるのは無理だ、というのが佐藤さんの説。

 

塩野七生さんと池内さんとの鼎談も面白い。塩野さんと言えば、ローマ人の物語。私は、学生時代に途中まで読んで、あとは老後にとっておこう、、と、続きを買うのを辞めてしまった。。。
塩野さんのローマの歴史に対する視線は、ヨーロッパの人のそれとは異なるので、やっぱり面白そうだ。脱サラした今、老後みたいなもの??だから、読んでみようかな。。。と思った。
塩野さんは、執筆する際に、「現代を生きている人の役に立つとか、今の日本人にとって何かの解決策を示唆するような意図をもって書かない」としたそうだ。だから歴史が色眼鏡なしに語られているということ。うむ。やっぱり、読むべし、かな。

 

第八講座では、インテリジェンスの意味について。
インテリジェンスは、分析ではない。分析は、アナリシス。
「この黒猫は黒い」は、分析。主語に黒いという意味が既に含まれている。
「この黒猫は賢い」となると、シンセシス。統合、ということ。それが、インテリジェンス。
日本語で分析というと、この分析と統合の両方が含まれるので、頭の中で整理して議論することが大事、だと。
中国の動向については、分析と統合が大事だと。
で、中国は、法律用語でいうところの「発生事実」と「決定事実」のうち、「決定事実」を使う、と。だから、南沙諸島にコンクリートの建造物をつくってしまう。決定事項で歴史を語るのが中国。。。。
日本人と歴史を語ったときに、違和感がないわけがない。自国の歴史はつくって、決定事実にする、それが中国。。。地図だって作っちゃう国だから。。。

megureca.hatenablog.com

 

本書最後は、2015年3月4日に行われた公開ゼミナールの質疑応答も含まれる。

最後の質問は、

「佐藤先生にとって、生きるとことはどういうことですか?」

佐藤さんの答えは、

「こうやって、皆さんと会ってコミュニケーションをとっていくということで、それは楽しいことです。自分の持っている知識なり何なりを人と分かち合うことができることは楽しいことです。」

と。

 

最近、慢性腎臓病を抱えていること、移植手術を考えたら癌が見つかったことを公表されているけれど、もっともっと、たくさん、書いてほしいなあ、、、と思う。

 

読書は、楽しい。

書籍も、コミュニケーションだ。

 

『知の教室』

 

『異端の人間学』by 五木寛之、 佐藤優

異端の人間学
五木寛之
佐藤優
幻冬舎新書
2015年8月5日 第一刷発行

 

ウクライナでの情勢がどんどん厳しくなる中、2015年の本だけれども、”今こそ読むべき”と新聞の広告欄にあったので読んでみた。五木寛之さんと佐藤優さんとの対談。

 

目次

第一部 人間を見よ

第二部 見えない世界の力

第三部 詩人が尊敬される国

第四部 学ぶべきもの、学ぶべき人

 

五木寛之さんといえば、『さらばモスクワ愚連隊』(1966)や大河の一滴(1988)が有名だけれど、私はあまり読んだことがない。雑誌などで今でもコラムを書かれているけれど、1932年生まれと言うから結構なお年。結構どころじゃないか。 週刊新潮の「生き抜くヒント」は、確認したら最新号で連載393回だった。すごい。

 

そして、なぜ、この二人の対談がウクライナの話とつながるかというと、五木さんはロシアに詳しい人だった。よく知らなかった。
佐藤さんが、五木さんの作品でロシア人の本質をよく表している、といっているのが、『さらばモスクワ愚連隊』と『蒼ざめた馬を見よ』。五木さんは、中学1年生の時に現在の平壌で敗戦を迎えた。そのときにソ連軍が進駐してきた。みんな、ソ連軍を怖れ、ソ連軍はソ連のスメルシュ(KGBの前身、NKVD)を怖れた。ソ連軍は、銃をかかえて日本人居住区にやってきては、女を出せと脅す。人身御供にされた女性は、ボロ雑巾になって帰ってくるか、かえってこないか、、、そんなことをみてきた。それでいて、ソ連軍がみんなで美しい合唱をする姿も目の当たりにしていた。

NKVDって、内務人民委員部のことで、『同志少女よ、敵を撃て』にでてきた。

ほんとに、いたんだ、、、自国の兵士を銃殺する人たちが。

megureca.hatenablog.com


そして、五木さんは、帰国してから、ロシア文学の道にすすむ。父親に「お母さんの仇だぞ」と言われながらも。

そんな風に、五木さんとロシアとに深いかかわりがあったこと、知らなかった。
というか、五木さん世代の人たちは、多くの人が満州での経験がその後の人生に大きく影響している、と。

二人が共通してもっているロシア人への印象は、組織の命令で恐ろしく冷淡なことをしておきながら、日本人以上に人間臭い、ということ。
『さらばモスクワ愚連隊』では、悪役で描かれている役人にも、ジャズに感動して涙する人間臭さが描かれていたり。
佐藤さんおすすめのロシア文学者、ショーロフの『人間の運命』も、主人公が最後にみなしごを自分の息子とするあたりの人間臭さが良いと言っている。

megureca.hatenablog.com

 

組織の命令通りに働く。でも、最後に信用できるのは具体的な人間だけ。だから、人と人との深いつながりを大事にする。

また、『人間の運命』が、ロシアで愛されるのは、主人公がナチスの収容所を経験しているということもあるのだと。収容所での具体的描写はほとんどないのだけれど、話のなかで、収容所を命からがら逃げてきたことがわかる。そして、せっかく戻った故郷では、妻や子供は、すでに戦争でなくなっていた、、、。そんな中で、みなしごを息子にする話だから、ロシア人の生身の人間を愛する気持ちに響くのだと。


そして、佐藤さん曰く、モスクワでは「ですぎた杭はうたれない」だったので、そのくせが日本に戻っても抜けなかった、と。モスクワでは、なにかに突出していると、かえって、こいつは信用できる、となる。腹をわってとことんまで話すと、敵とか味方とかを超越したような人間関係ができる、でも、日本では「ですぎた杭はうたれた」と、自虐的に語っている。

 

ウクライナについては、西ウクライナガリツィア地方がソ連赤軍によって占領された歴史を抜きには語れない、という話。
ちょうど、佐藤さんの『「悪」の進化論』にでてきた話とかぶる。同じ話がでてきた。ブログには書かなかったけれど、今、東部への侵攻がさかんだけれど、歴史的背景からすると、西のガリツィア地方が、ウクライナとロシアを語るときに一つのキーポイント、という話。

megureca.hatenablog.com


むりやり宗教を変えられた民族の心に深くのこる、うらみつらみ、、、とでもいうのか。

ウクライナの東は、もともとロシア正教。西はカトリックだったのだが、東方典礼カトリックとしてローマ教会がちょっと妥協したような宗教になっていった。だから、ロシア正教の人たちは、東方典礼カトリックを信用しない。
ロシア語で「イエズス会」というのは、「ペテン師」という意味だそうだ。『カラマーゾフの兄弟』でアリョーシャの「それはイエズス会のだ」というセリフは、「それはペテン師のやり方だ」という意味合いだそうだ。
言葉って、、、文化的背景をしらないと、わからないことがたくさんある。

でもって、戦後、東方典礼カトリック教会は、無理やりロシア正教にさせられた。
多くの信者は、カナダへ亡命した。だから、いまでもカナダはウクライナ語を話す人が多い。亡命せずとも、やはり改宗せずに山に籠った人たちもいた、実はその人たちは旧ナチスに協力した人たちで、ゲリラ戦を展開した。

どうやら、プーチンが今回の侵攻でウクライナナチス呼ばわりするのは、この時のことが背景にあるらしい。

 

実は、17世紀のロシア正教会宗教改革の時に、それに従わなかった人たちが一部いて、古儀式派と呼ばれる、それは、異端の分離派ともよばれ、プーチンの祖先もじつはこの分離派だった、と。

 

本書は、ロシアの話だけではなく、他にも宗教観にまつわる話などが展開される。
日本の隠れ念仏や、カヤカベ教(旧薩摩藩隠れ念仏信仰から派生した秘教の一派の俗称)。

かれらも、異端ということ。

そして、そういう人たちが心の中に持ち続ける、人間性を「異端の人間学」というタイトルにして語っている。

 

他、ロシアのこぼれ話。

体重計は120Kgまで測れるものが一般的で、ロシアでは120Kgを越えないと肥満とは言わない、、とか。

女性も30歳になるまでは、超美人だけど、30歳を境に巨大化していくとか。

お酒を飲むとき、ぶっ倒れるまで飲むのが礼儀だ、、とか。

 

あ、わかるわかる。私もロシア人と仕事をしていたことがあるから、日本人サイズの椅子だと椅子がかわいそうな感じ、、、。

モスクワでの宴会は、とにかく飲まされる。

彼らが日本に来た時に、浅草の花屋敷に観光につれていったことがあるけれど、あのジェットコースターは、絶対、体重制限で無理そうだった。ジェットコースターが壊れちゃう。

あの巨大化は、日本人には無理だ・・・。

 

なかなか、面白い二人の対談。

最後には、お二人が人生の師としている人、本の話で締めくくられる。

 

佐藤さんが影響をうけたのは、宇野弘蔵と、学校や塾の先生たち。

そして、太平記を繰り返し読んでいる、と。

 

面白いなぁ。

太平記」もじっくり、ゆっくり、読んでみようかな。

五木さんの本も。

五木さんって、個人的には昭和の男性にすごく人気があるひとという感じがして、特に興味はなかったのだけれど、ちょっと、読んでみたくなった。

まずい、また読みたい本ばかりがたまっていく。。

でも、嬉しい。

 

読書は楽しい。

 

『異端の人間学



 

 

 

 

「鶴の恩返し」に秘められたコード

「鶴の恩返し」に秘められたコード

 

日本人なら、きっと誰もが知っている「鶴の恩返し」。
このお話に関する解説というか、解釈の一つが、佐藤さんの本『「悪」の進化論』にでてきた。

megureca.hatenablog.com

 

引用すると、

”この自然界には掟がある。
助けてもらった鶴は、助けてくれた人に恩返しをしないといけない。しかしそこにはコード(掟)があって、姿を見られたら戻らないといけない。

この話の舞台を現代に置き換えてみると面白いよ。
親切な男だと思って、恩返しにいったら、妻の稼ぎにたよりっぱなしの、とんでもない DV 男だった。お酒も飲む。女郎屋にも行ったりする。
それを見越して、鶴は「絶対に中を覗かないで」というルールを作る。
とやはりこの男はこの約束も守れない。
そこで鶴としては恩返しをすべし、という縛りから自由になって帰っていくという物語になるんじゃないかなと想像したりもする。”

 

鶴は、恩返しから自由になるために、男に出来ないだろうと思われる約束をさせた。鶴は、泣く泣く男の家をでたのではなく、「あ~、せいせいした。とんでもない男だった」といって帰っていった、という解釈。

男も、約束を破ったのは自分だから鶴のことを恨めない。

鶴も、とりあえずの恩返しはしたんだから、もう男の元を去ってもいいだろうと思える。

 

笑える!
深い。
深すぎる。

さも、「あなたが約束を守って下さらないから、、、私はあなたのおそばにはいられません。。。」みたいな振りをして、実は計画的、正当な脱走だった、と。

う~~~ん。
深い。

 

鶴の恩返し、最後は、鶴が去って行ってしまって終わる話だったろうか?
それとも、男が改心する話だったろうか。
きっと、去ってしまって、おしまいだったんだろう。

だから、ひとによっては、悲しい別れの話に思えたり、鶴が自由の身になれたハッピーエンドに思えたり。

 

真相は?
と、いくつかネットで検索してみると、鶴が恩返しに行ったのは、老夫婦の家だった??

昔話って、いい加減に覚えているものだ。。。

たしかに、おじいさんが鶴を助けた話だったか、、、。

そして、覗いてしまったのはおばあさん。


若い男の話にしたのは、佐藤さんのアレンジか?!

それが、現代風ってことか。

 

昔話を読み返すと、子供の時とは違う深読みをして楽しめるのかも、なんて思った。

桃太郎、浦島太郎、さるかに合戦、ちゃんと口述できるかと言われると、怪しい。

♪おこしにつけた、黍団子一つ私にくださいな♪ 

と、歌なら覚えているのだから、歌ってすごい。

 

そして、物語の最後の解釈は、読み手に任されているともいえる。

え??その終わり、どういう意味??っていうモヤっと感。

それが、自分で考える、ということにつながることもある。

だから、佐藤さんは、「小説をたくさん読め」と言われる。

 

なかなか、斬新な、鶴の恩返し。

受けた恩の恩返しはしたいけれど、もうその相手のそばを離れたい。

そんな時、自己正当化できる、相手が守れそうにない約束を作って、その相手の元を去る口実にする。。。。

 

実際の社会でも、あったりするかもな、、、なんて思う。

でも、そうして今の場所から立ち去ることが大事なこともある。

昔の恩義やら、感謝の念でがんじがらめになって動けないとき、始めの一歩は、現状維持を辞める一歩、かもね。

 

そして、恩返しをする相手の元を離れても、次の世代に「恩送り」することはできる。

返さなくても、次に送っていこう。

年を取るというのは、どんどん「恩」を送る相手が変わっていくことのように思う。

 

鶴の恩返しから、思考がぐるっと回転してしまった。

でも、面白い。

だから、読書はやめられない。

 

読書は楽しい。

 

 

 

 

『「悪」の進化論』同志社大学講義録 by 佐藤優 (その2)

「悪」の進化論
同志社大学講義録
ダーウィニズムはいかに悪用されてきたか
佐藤優
集英社インターナショナル
2021年6月30日 第1刷発行 

 

昨日の続き。

megureca.hatenablog.com

 


第5講では、神に対する考え方の変遷から、スターリンがいかにダーウィニズムを悪用したかということ。ヨーロッパもロシアも、宗教なしには社会の変遷、歴史は語れない。

 

スコラ哲学の時代、アリストテレスは「質料」と「形相」という概念で物事を理解しようとした。質料は、ものの原料になっているようなもの。木の机なら、木が質料で机が形相。パンなら、小麦粉が質料でパンが形相。小麦粉なら??小麦と小麦粉??と、だんだ質料がわかりにくく、際限なくなっていく。13世紀になって、トマス・アクィナス「第一質料とは神である」と言った。
そして、18世紀のフリードリヒ・シュライエルマハーは、「神は心の中にいる」といった。かつ、「現代は、学問が、専門化・分化しているから、一人の人間がその全体に通暁するのは不可能だ」とした上で、哲学部の強化・拡充を求めた。その後、各国で様々な教育の仕組みができていく。必ずしも、哲学の強化が伴わず、専門化にすすむこともあった。そして、「神は心の中にいる」という言葉が「自分の心の声に忠実であれ」となり、科学の発展につながった。

科学技術の発展に大きくつながるとともに、「自分の考えは神の御意思なんだ」という人も出てきた。それが積み重なって、第一次世界大戦では、大量殺人兵器である機関銃や毒ガスが使われて沢山の人が亡くなった。これを見たヨーロッパの知識人たちは、人類の理性に疑問を持ち始めた。
そこから、ハイデガーの実存哲学等が生まれる。
この時、アメリカは自国が戦地になっていなかったから、人間の理性に疑問を持たないままの社会として存続した。それが今のアメリカの社会にもそのまま残っている、という。それが端的に現れているのがトランプの支持者たち、と。

ロシアの哲学者であり革命家でもあるボクダーノフは、「社会の専門化こそが人間の進歩を阻んでいる」といった。
専門化は人を保守的にしてしまい、パラダイムシフトができなくなってしまうから。
また同時に、専門以外のこととの関係性を理解しようとしなくなると、ナチスの「アイヒマン」になる、と。ハンナ・アーレントエルサレムアイヒマンの中でいった「悪の凡庸性」アイヒマンは、ナチスによるユダヤ人大量虐殺に大いに関わっていた。実際にやっていたのは、収容所への移送最高責任者。鉄道のダイアグラムの専門家だった。本人は、鉄道の専門家であって、「大虐殺」をした自覚がない。その、まったく罪の意識をもたないアイヒマンアーレントは、「悪の凡庸性」と言ったのだ。これは誰にも受け入れらたわけでなく、イスラエルでは大問題になって、『エルサレムアイヒマン』はしばらく禁書だったらしい。人は、悪を犯すのは、大悪人でないと納得できない?のか。普通の人が、あんな恐ろしい悪を犯すなんて、、、、誰もが知らない間に悪に加担する可能性をいっているのが、怖いともいえる。原爆だって、研究者たちは世の中に役立つ原子力として研究してきたわけで、原爆を作るためではなかった、、、はず。。。。そこに、専門家の危うさがある。

テクノロジーは、平和目的にしか使ってはいけない、と自分に常に言い続けないと、想定外が起こりえるのが社会・・・。

 

自覚のない大罪を犯すのは、専門に特化して社会への影響を考えられなくなってしまったひと。恐ろしい人体実験でしられる、731部隊の石井四郎陸軍中尉も、そういう一人。オウム真理教サリンをつくった科学者もそうだろう。

 

佐藤さんは、自然科学系を学ぶ人は、自分が所属した組織が、反社会的なこと、倫理に反することを求めてきたときに、どうするのか?を考えておくこと、と学生に語っている。サリン事件もしらない学生世代に、どう響いたかな?でも、とても大事。


また、そういった高度な学問はやはりこれからの国を背負っていく若者の場であり、大学は若い人のための場だ、ということをおっしゃっている。定年後の「お達者クラブ」でやってきて、「俺の若いころは」とかいうのは最悪だ、、、と。いたたた。

それは、そうだ。
年寄りは、若者の学ぶ場をかき乱してはいけない。

 

社会の矛盾は色々ある。それを学ぶには、小説がよい、と。特に夏目漱石は、色々な読み方ができるから何度でも読んでみればよい、と。

 

講義の話題は、マルクスエンゲルスの話から、無神論の話へ。そして、無神論の話からドーキンスの話へ。


ドーキンスは、利己的な遺伝子が日本でもベストセラーになった。「心のウィルス」や「ミーム(文化の遺伝子)」を持ち出して、神なんかいないし、すべては遺伝子や刷り込まれたものなんだ、と無神論と繋がっている。『利己的な遺伝子』は、当時私も読んだのだけれど、バイオテクノロジーを専門とする私には、まったく科学的根拠のない話で、びっくりした記憶がある。遺伝子とつくからサイエンスの話かと思ったら、思想の話で、個人的には何じゃこりゃ、ととんでも本の一冊、くらいにしか思わなかった。

 

ちょっと面白いのは、佐藤さんはドーキンスの本を直接持ち出して講義をするのではなく、ドーキンス批判をしたマクグラスの『神は妄想か』を引用しながら、ドーキンスマクグラスの考え方を説明している。話のすすめ方として面白い。アメリカでは『利己的な遺伝子』は、神を冒涜しているとみる人もいて、それなりに論争になっていたようだ。日本人には、キリスト教に由来する神の考え方があまり一般的ではないから、神はいないと言われても、違和感がなかったのかもしれない。そうね、ドーキンスさんのいう神はいなくても、日本には八百万の神はいますから。。。って。

 

そして、合理主義のはなしから、行動経済学へ。
集合的無意識の話から、ユングフロイト唯識阿頼耶識、末那識の話へ。
阿頼耶識集合的無意識のようなもので、末那識が自己への執着や自己へ都合よく解釈する意識。そんな話に展開していく。佐藤さんの話が、東洋思想につながるのが面白い。

そして最後に、「ライプニッツ研究」が不可欠だ、と。
ライプニッツモナド。世界はモナドで成り立っている。
モナドはあらゆるものの素であり、相互に独立して、それでいて全体を予定調和している、と。現在の多元論の考え方の基本。

 

話が、様々な方面に広がるので、3日間の講義、消化不良を起こしそうな感じだ。

佐藤さんの話は、多元で多元で、あれもこれも、、、沢山の点がでてきて、あとからそれが線でつながって、、、。

いやぁ、満腹な一冊だった。

 

世の中を自分の都合で解釈してしまえば、間違うかもしれない。その一つが、ダーウィンの進化論を自分に都合よく解釈したナチススターリン。一面で物事をとらえるのではなく、モナドで、多次元で考えなさい、そういう教えの本だった。 

だから、あちこちに話が展開したのだろう。

 

講義を聞いた学生も、本を読み直すことで改めて気が付くこともあると思う。本にするって、すごいことだ。

 

本書をマインドマップでまとめようとすると、A1一枚みたいなすごい広さになりそうな感じ。

 

ただ、佐藤さんの思考をかたっているのではなく、思考の材料をこれでもか、これでもか、と提供してくれている。そんな感じ。

 

分厚く、存在感のある一冊。

おもしろかったぁ。

佐藤さんの思想にすべて共感するわけではないけれど、やっぱり、面白い。

 

読書は楽しい!

 

『「悪」の進化論』

 

 

『「悪」の進化論』 同志社大学講義録  by  佐藤優 (その1)

「悪」の進化論
同志社大学講義録
ダーウィニズムはいかに悪用されてきたか
佐藤優
集英社インターナショナル
2021年6月30日 第1刷発行 

 

図書館で佐藤優で検索して出てきた一冊。比較的新しいけれど、すぐに借りられたので借りて読んでみた。

 

本書は、2019年8月21日から23日に、同志社大学京田辺キャンパスで行った集中講義の記録をベースに作成されている。つまり学生相手の講義の記録なので、時々学生との質疑応答があったりする。集まった学生は、文理横断するサイエンスコミュニケーターを育成する目的で副専攻として儲けられた講座に参加している人たち。文系も、理系も交じっている。
542ページの単行本。なかなかのボリュームと内容。3日間の講義内容というけれど、これだけのものを3日間で学んだ学生はすごいと思う。
そして、それを1冊の本として誰でも目にして、読むことができるというのもすごい。
ありがたいこっちゃ。

 

佐藤さんの経歴を、本書掲載から改めて、覚書。
1960年、東京都生まれ。作家。元外務省主任分析官。
1985年に同志社大学大学院神学研究科修了後、外務省入省。在英国日本国大使館、在ロシア連邦日本国大使館に勤務した後、本省国際情報局分析第1課において主任分析官として対ロシア外交の最前線で活躍。2002年背任と偽計業務妨害容疑で東京地検特捜部に逮捕され2005年に執行猶予付き有罪判決を受ける。2009年に最高裁で有罪が確定し外務省を失職。2005年に発表した『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』で第59回毎日出版文化賞特別賞受賞。2006年に『自壊する帝国』で第5回新潮ドキュメント賞、第38回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。『ファシズムの正体』(インターナショナル新書)、『未来のエリートのための最強の学び方』(集英社インターナショナル)など著書多数。

 

表紙の裏には、
チャールズダーウィンが発表した進化論は従来の世界観を根底から覆し、科学に『パラダイムシフト』を起こした。そして今日もなお、ダーウィニズム『人間とは何か』『生命とは何か』を考える原点として、多大な影響力を持っている。まさに『近代史を変えた思想』だ。
 だがその一方で、進化論はダーウィンの意図を逸脱した形で受容されてきた。その結果、生まれたのが、人種差別を肯定する社会進化論であり、また人類の『進化』を意図する共産主義であったが、その『悪』は今再び世界に広がりつつある。
 日本を代表する知性・佐藤優同志社大学の伝説の集中講義で縦横無尽に語り尽くしたダーウィニズムと現代史の関係をここに完全再現する。」

3000円の本。
私は図書館から借りただけだから、ただだけど、面白い本だった。

 

ただ、すんなりと読めたのは、これまでに佐藤さんの本をたくさん読んできたから、それなりに固有名詞や、説明内容に馴染みがあったからだと思う。それらの総おさらい、そして、新たな点と点の結びつき、という感じで読めて、面白かった。

 

目次
序 講義を始める前に
第1講 トランプマークも悪用した「進化論」のロジック
第2講 今も残る「社会進化論」の害毒
第3講 ナチズムの父はダーウィンだった?
第4講 歴史もまた「進化」するか   唯物史観
第5講 スターリンに影響を与えたダーウィニズム
第6講 宗教になった「マルキシズム
第7講 「神殺し」をするドーキンス進化論


序では、学生たちに、しっかり学べ!という、檄を飛ばす感じ。日本の教育は中等教育が置き去りにされているので自分でしっかり学べと。そして専門だけではなく文理融合の考え方を身につけろという話。英語の勉強も、もちろん必須。そして英語と社会科の知識を一緒に確認できる「全国通訳案内士試験」を薦めている。
「全国通訳案内試験」は観光庁がやっている、唯一の外国語に関わる資格試験。1回取得すると一生有効。ということで、通訳を目指している私も、先生から取得をすすめられている、、、。70歳でも現役で各地の観光名所に行っている人がいると聞くと、ちょっと、そそる。


ダーウィンの「進化論」は、誰でも知っているだろう。それは、まさにパラダイムシフトだった。本書で説明されるパラダイムとは、
「ある科学領域の専門的科学者の共同体を支配し、その成員たちの間に共有される、
①ものの見方、②問題の立て方、③問題の解き方の総体」であると定義している。
例えば、人の「脳死」は、パラダイムが確立していない。医師のあいだでも考え方が統一されていないから。ダーウィンの進化論は、神がつくった世界から、神によらない世界、へとパラダイムシフトが起きた。
大人と子供は、パラダイムが違う。だから、大人だったら怖いものが子供には楽しい世界に思えたりする。その世界を広げて育てようというのがモンテッソーリ教育。佐藤さんは、これをすすめているということではなく、日本ではモンテッソーリ教育=英才教育、と誤解されている、ということを言っている。
たしかに、ジェフ・ベソスや、ラリー・ペイジ藤井聡太さんが受けた、と聞くと、そう思ってしまうのかも。でも、子供のパラダイムで育てる、というのがモンテッソーリ教育、ということ。

 

何かを正しく理解、把握するためには、敷衍(ふえん)すること、要約すること、つまり別の言葉で言い換えることができるようにならなくてはいけない、という。パラダイムモンテッソーリ教育を正しく理解するにも、要約力が必要だと。
そして、そのためには、何かの本を読むときは、文章の中心にアンダーラインをひき、全体のプロット(重要な箇所)をピックアップするように読むこと。神学者が聖書を読むのは、まさにそういうことをしている。そして、プロットが先にきて、そこに肉付けすると、一冊の本になる、という。
なるほど。面白い。

 

そして、神学と関連してうまれてきたのが、「プラグマティズムアメリカ哲学の中心。実用主義、実践的な考え方ということ。実践的なことに正しいことがあり、そこに神が望んでいることがある、と。


そして、そこから、「社会ダーウィニズム」に繋がる。
ダーウィンの進化論を、社会問題に無理矢理当てはめたのが社会ダーウィニズム。そしてそこからナチス優生思想の考え方が生まれてきたのだと。それを「社会進化論」という言い方もしている。社会は常に進化していくべきだという考え方。

 

一方で仏教における世界観は、「下降史観」と言われる。世の中は放っておけば腐敗してしまう。だから日本人はそれを「初心忘れるべからず」という表現で表したりする。

社会進化論では人はどんどん進化する。それは新自由主義の考え方と繋がっていく。そして行き過ぎれば、進化できないのはその人がいけないのだと言う人種偏見につながり、実際アメリカでは1907年、世界初の断種法、優生学における断種が実行されている。ヒトラーユダヤ人抹殺思想は、実はアメリカに起源があった、ということ。
また、トランプ大統領だって、社会進化論を利用していると。断種法にいくわけではないけれど、都合の悪いものは、関係を切っていく、それは社会進化、新自由主義のため、ということ。

 

思想レベルと社会的影響力について、アーネスト・ゲルナノーのマトリックスが紹介される。著書『民族とナショナリズムの中で出てくる。
知的に洗練されていて、影響力のある思想
知的に洗練されていて、影響力のない思想
知的に洗練されていなくて、影響力のある思想
知的に洗練されていなくて、影響力のない思想

佐藤さんは、ここで、2番目と4番目は、問題ない、と言っている。そりゃそうだ。影響力ないんだから。で、問題は、3番目の「知的に洗練されていなくて、影響力がある思想」。それが、反知性主義である、としている。
ちなみに、「百田尚樹」さんがの著書がそれだ、と言っている。


社会進化論というのが、とらえ方によっては、偏見を助長するということが第2部で語られる。
もっとも行き過ぎたのが、ナチスナチスは、アーリア人だけが最高だと思った。だからそれ以外は抹殺する。実は、ナチスノルウェーでは、ナチスの親衛隊と金髪碧眼のノルウェー女性との間で子供をつくって、アーリア人種を保全していくという活動をしていた。当時のノルウェーの大統領クヴィスリングがヒトラーの友人だったから。
歴史ではあまり触れられることがないし、今のノルウェーにそのような印象をうけないのは、戦後、クヴィスリング政権の要人を逮捕して死刑にしてしまったから。「すべては、クヴィスリング一派のせいで、ノルウェー人のせいではない」ということにしてしまったらしい。

 

佐藤さんが、よく警告するのは、ヒトラーの思想は今の日本にもある、という話。本書でも、『人は見た目が9割』あるいは、『言ってはいけない』という本は、優勢思想に他ならない、と言っている。
私も、『言ってはいけない』を読んだことがあるけれど、正直、不愉快極まりない本だった。まったく、同意もできないし、なんでこんな本がベストセラーになるのか??と思った。『人は見た目が9割』は、内容がすぐに想像できたので、読まなかった。


第3講 ナチズムの父はダーウィンだった?では、「パレート最適」という言葉が出てくる。ウィルフレド・パレートという経済学者が用いた概念。今でも経済学で使われる用語であるが、もともとはファシズム的に使われた。
パレート最適とは、国家が私的な経済活動に介入して富の再配分を行う、ということ。パレート自身は、ムッソリーニの先生でもあった。つまり、ファイズムを生み出した人でもあるということ。
ここで、佐藤さんがいうのは、国家が私的な経済活動に介入して富の再配分を行うというのは、現在の福祉国家でも行われているけれど、ファシズムの考えとも、共通しているということ。福祉国家は一歩間違えばファシズムに転ぶこともあり得るのだ、と。


そして、生涯現役というのは、実は、ナチスの思想である、とも。生涯現役というのは、裏を返せば、現役でなくなったら価値がない、ともいえる。

ちょっと、考えさせられたのは、例えば、肺がんを減らすために禁煙キャンペーンを張るということにまつわる話。いまでは、嫌煙が一般的になってきて、それ自体は私もウエルカムなのだけれど、 医療費削減のために禁煙キャンペーンとなると、裏をかえせば、喫煙して肺がんになった人は医療費を消費する国家の敵?!ともなりかねない、、と。
健康は、個人の為であって、国家の経費削減目標となると、危うい、、、と。
まぁ、事実、認知症対策も、メタボ対策も、個人が健康で幸せな時間をすごせるということと、社会保障費削減と、両輪あるのだとおもうけれど。

そして、とある大学が採用の条件に「非喫煙者」としたことでメディアが禁煙キャンペーンの良い取り組み、としたのも危ない、と。たしかに、大学で吸わなきゃいいだけで、煙草を吸うか吸わないかを採用の条件にするというのは、行き過ぎている気がする、、、。 

 

そして、近代的な自由権として愚行権が言及される。愚かなことをしてもいい自由。たとえ、他の人が愚かだとおもっても、他者に危害を加えない範囲においては自由にできる権利。それを日本では、「幸福追求権」として、日本国憲法 第十三条で、”公共の福祉に反しない限り”として、認めているという話。
猫を飼うのも、花を育てるのも、公共の福祉に反しない限り、好きにしていいよ、って。

 

第4講では、唯物史観について。国家社会という観点からすると、人類は3段階にわたって発展してきた。狩猟採集社会あるいは前農業社会、農業社会、そして産業社会。農業がすすんで定住するにしたがって、権力が生まれる。ここではまだ国家は生まれない、でも、産業社会になると、読み書き、計算が出来ないといけないから、そういう人材をつくるために、教育が必要になる。それが国家となっていく。

生産力向上→奴隷制度→封建制度→資本主義。それが、唯物史観。物によって社会がかわってきた。そして、唯物史観による未来は、資本主義→社会主義共産主義。。。

唯物史観で大事な考え方が、「上部構造」と「下部構造」。社会の変遷を考える時は、下部構造、すなわち経済を考える。上部構造とは、文化や政治。下部構造、つまり経済が成長しないと文化も政治も成長しない、と考えるのが唯物史観

佐藤さんは、日本人の思考の鋳型に、「唯物史観」は深く根差しているという。「成長していかないと、日本は滅びてしまう」と信じる人は、日経平均もGDPも上がってもらわないと困る、、、。たしかに、、、。

ここで、日本資本主義論争のはなしがでてくる。講座派、労農派の話。明治維新は市民革命だったと考えるのが労農派。でも、充分ではなかったから、もう一歩社会主義革命をすすめようとして、日本共産党になる。どちらも、天皇制はなくていいとおもっているけれど、積極的に天皇制打倒としたのが講座派。どちらも、弾圧されたけれど、当時は、天皇制打倒を強く打ち出した講座派のほうが治安維持法によってより弾圧された。

 

と、だいぶ長くなってしまったので、続きはまた明日。

 

『「悪」の進化論』

 

禅の言葉 無地の公案

今朝教えていただいた、禅の言葉。

 

無字の公案について
無門関第一則趙州無字(無門慧開の解説)
 
三百六十の骨節(こっせつ)、八万四千の毫竅(ごうきょう:毛穴のこと)を将って(もって)、通身に箇の疑団を起こして箇の無字に参ぜよ。

昼夜提撕(ていぜい)して虚無の会を作すこと莫れ。

有無の会を作すこと莫れ。

箇の熱鉄丸(ねってつがん)を呑了(どんりょう)するが如くに相似て、吐けども又吐き出ださず。

従前の悪知悪覚を蕩尽し、久々(きゅうきゅう)に純熟して自然(じねん)に内外打成一片ならば、唖子(あし)の夢を得るが如く、只だ自知することを許す。

驀然(まくねん)として打発せば、天を驚かし地を動ぜん。

関将軍の大刀を奪い得て手に入るが如く、仏に逢うては仏を殺し(殺すことではなくて超越する事)、祖に逢うては祖を殺し、生死岩頭に於いて大自在(だいじざい:まったくの自由)を得、六道四生(ろくどうししょう:あらゆる輪廻)の中に向かって、遊戯三昧(ゆげざんまい)ならん。
 


坐禅の最初の公案が、「無字」。だれもが最初にならう公案
無字の無は、有無の無。
空色(くうしき)に対応する、無と有。
心の中を無、現実の世界を有とする。

 

以前にも覚書をしたことがあるけれど、今日は、その公案の解説の紹介。

無門慧開という禅僧が、『無門関』という本を書いた、その中の解説。

 

呼吸に集中する。全身全霊でもってでもって無になる。
有る、無しを考えるな。
熱い鉄の玉を飲み込むように、内も外も一緒になるぐらいの集中。
言葉がしゃべれない、それでも夢を見るかのごとく、自分を知ること。
一挙にその境地に達すると、天も祖先も凌駕してしまう。
まったくの自由になって、自由楽々になるのだ。

 

ということ。

 

無になれ、無になれ、無になれ!!
ひたすら、無になれば、自由になる。

そういうことかな。 

 

日本中が3年ぶり連休にわいた2022年のゴールデンウィークも終盤。

休暇モードから、現実モードに戻る感じだろう。

どっちが、本当の生活か?

どっちも同じ人生の一部。

休みが特別なものでもなく、仕事が特別なものでもない。

あるいは、毎日が特別なのか?

 

いやいや、毎日、普通に毎日なのだ。

「無」の時間を持つことで、すべてが「有」に感じられるのかもしれない。

 

まだまだ、無にはなれないけれど、何もインプットしない、何もアウトプットしない、ただ呼吸をしている時間、寝ているのではないから自分の呼吸だけは感じる。そんな時間をたまに持つと、脳のなかのおしゃべりが止まる。

 

そういう時間も、いい。

 

あれこれ考えても、どうにもならないことはどうにもならない。

じたばたせずに、じっと、今やるべきことに集中しよう。

 

考えても解決しないものは、いったん横において、じっと、無になってみる。

ちょっと、心が軽くなるかも。

 

自分の人生は、自分で考えて、自分で決める。

時間の過ごし方も、自分で決める。

 

『フーテンのマハ 』 by 原田マハ

フーテンのマハ
原田マハ
集英社文庫
2018年5月25日第一刷
初出 「小説すばる」2009年10月号~2010年12月号、2015年6月号~2016年12月号 

 

原田マハさんのエッセイを編集したオリジナル文庫。
図書館の原田さんの棚にあったので借りてみた。

 

裏の説明には、
「とにかく旅が好き!食、陶器、絵画、鉄道など目的はさまざま。敬愛する寅さんにちなんで”フーテン”を自認し、日本のみならず世界中を飛び回る。気心の知れた友・御八屋千鈴氏や担当編集者を相棒に、ネタを探して西へ東へ。『旅屋おかえり』や『ジヴェルニーの食卓』が生まれた秘密は旅にあった!笑いあり、感動ありの取材旅行エッセイ。さぁ、マハさんと一緒に旅に出かけよう」
解説/御八屋千鈴

 

感想。
ふふふ。と面白い。
そうか、原田さんって、そういう人だったんだ!!
って、ちょっとうれしくなった。

電車の中で読んでいて、クスクス、、プププって、ちょっと笑っちゃう感じ。

 

2009年頃に「小説すばる」初出と言うから、もう10年以上前。
原田さん自身が40代の頃の話とか、 勤め人をやめて物書きになった話とか、初めて聞く話が多くて面白かった。

 

”長らくアートの仕事をしていたが、40歳になる直前で、「人生でほんとうにやりたいことは何か?」と考えに考え抜いて、それまで勤めていた会社をすっぱりと退職した。べつだん起業するつもりも、物書きになろうとそのときに決意したわけでもなかった。しかし、「とにかく40代のうちにやりたいことをやりたいようにやりたい人となる。やるっつったらやる!」と啖呵をきってしまった

のだそうだ。

(笑)

素敵。

 

なんせ私が原田さんを知ったのはここ数年のことで、美術に詳しい素敵な女性とは思っていたけれど作家デビューをしたのは美術とは関係ない話だったというのも初耳。

 

タイトルにある、フーテン、というのは、原田さんがフーテンの寅さんのようにしょっちゅう旅をするから。もともとは美術のキュレーターをされていたわけで、勤め人としての出張から、フリーのキュレーターとして独立してからの旅とか、作家として取材のための旅、友人との癒しの旅。どのはなしも、面白かった。
そして、楚々としているイメージでいたのだけれど、違った!!
ある意味、ヤマザキマリさんと気が合うのがガッテン!!って感じ。
フーテンだ
フーテンを満喫しているし、旅を満喫しているし、時々とんでもない失敗もやらかしたり、 、楽しい。人生、楽しんでいらっしゃるって感じ。

 

本書にでてくる旅先も国内から海外まで、あちこち、楽しそう。
遠野で座敷童にあった話とか、地方のローカル線で地元の高校生の会話に耳ダンボになってしまう話とか、あとからなぜこんなものを買ったのか?!という珍品を購入してしまう癖とか。。夜のルーヴルで、絵画に浸っていたら、危うく閉じ込められそうになった話とか。沖縄での偶然の出会いからデビュー作『カフーを待ちわびて』が書かれたとか。作品の誕生のはなし、取材の話もでてくる。


どれも、読んだことのあるものは、そうだったのかという新鮮さ。まだ読んでいないものは読みたくなった。


ちなみに、どうやら、ご結婚されていて旦那様がいらっしゃるらしい。でも、フーテンなので、旅は旦那さんと一緒というわけではなさそう。そして、珍品を購入して帰宅する原田さんをあきらめつつ?温かく迎える旦那様って感じ。素敵。

 

旅の友である、御八屋千鈴さんは、高校の同級生。でも、おんな二人旅をするようになったのは40代になってからだそうだ。それぞれ、自分のペースがあるからこそ長続きする女二人旅。大人の女二人は、最強だ。いつも一緒にいるわけではないけれど、定期的に会う友人。その安心感というのか、癒され感というのか、よくわかる。
友はありがたい。

 

海外への美術館、画家の足跡をたどった話も興味深い。『ジヴェルニーの食卓』にまつわるモネ、セザンヌ、、、みんなみんな、行ってみたくなる。原田さんの美術愛にあふれる作品。

megureca.hatenablog.com


今年、コロナも落ち着いてきたし、私も海外旅行解禁予定。パリに行って時間があったら、久しぶりにオランジュリー美術館に浸ってこうよう!!思った。

 

ゴッホについても、晩年のゴッホの身の上(決して裕福ではなかった。しかも、精神病院送り)を考えると、それでもあれだけの絵を書き続けていたことに、取材をしていてどんどん引き込まれていった経緯が語られている。そして、ついには、ゴッホ終焉の地、オーヴェル=シュル=オワーズにも足を運ぶ。

『たゆたえども沈まぬ』は、その取材からうまれた作品だそうだ。ゴッホの弟・テオの目を通じたゴッホの物語りらし。これも、今度読んでみよう。

 

まだまだ、原田さんの本で読んでいないものがいっぱいある。

読みたい本がたくさんあるって、幸せ!!

 

ちなみに、フーテン旅の7つ道具が紹介されているので、覚書。

①エコバック(たためる)

②小物バック(小さく薄い)

③マイ箸(マイデザイン)

④マイスリッパ(ビジネスクラス用)

⑤目覚まし時計(たためる)

⑥アクセサリー入れ(たためる)

⑦宅配用ビニール(キャリーケースにかぶせる)

 

私の7つ道具とかぶるのは、エコバックとスリッパくらいかな。マイ箸か。確かに、海外でホテルでササッと食事を済ませてしまいたい時、便利かも。

あと、ジップロックが私の旅道具の一つ。

 

あぁ、旅に出たくなる。

もう少し、もう少し落ち着いたら、、、、

 

それにしても、フーテン、っていいな。

私もこれからは、自分のことを「ぷー太郎です」、ではなくて、「フーテンです」って言ってみよう。

 

読書は楽しい。

旅は楽しい。

楽しみを待つのも楽しい。

 

『フーテンのマハ』